📖 この台本について
⏱ 読了時間:約10分(3000字)
👤 登場人物:性別不問1名(1人用)
🎭 ジャンル:サスペンス
🎙 用途:朗読配信・練習・ボイスサンプル
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作品について
三年間住んでいるマンションで、ある朝、隣の303号室のドアが開いたままになっていることに気づく主人公。翌日も、その翌日も、十センチの隙間は微動だにしない。管理会社に問い合わせると「今月から空室のはず」と告げられ、日常のすぐ隣にあった不穏な空白が、じわじわと主人公の夜を侵食していくサスペンス台本です。
本作の特徴は、超常的な要素を一切使わず、「説明のつかない不自然さ」だけで不安を構築している点です。開いていたドアが閉まる、空室に靴が残っている、転居先が不明——すべてに合理的な説明がつきそうでつかない。その曖昧さが聞き手の想像力を刺激し、読後も「隣の部屋」が気になって仕方なくなる構成です。
朗読の際は、淡々とした日常の語り口を崩さないまま、違和感だけが静かに積み上がっていくような読み方を心がけてください。声で恐怖を演出するのではなく、事実を述べるだけの語りが、かえって聞き手の不安を掻き立てます。
▶ 朗読のポイントを見る(朗読される方向け・クリックで展開)
① 語りのトーン
冒頭の「その日、303号室のドアが、朝から開いたままだった」は、日常の報告のように軽く、しかしどこか引っかかりを残すトーンで入ってください。全体を通じて、客観的な観察者の視点を保ちます。管理会社との電話では、担当者の「少し沈黙してから」という間を実際に再現すると不穏さが増します。
② 緩急のつけ方
前半はテンポよく進め、「扉は、閉まっていた」の一文で明確にテンポを変えてください。この一文の直前に2秒の沈黙を置き、安堵と恐怖が同時に押し寄せる瞬間を表現します。空室に足を踏み入れる場面では速度を落とし、「床に、一足の靴があった」はゆっくりと、一語ずつ置くように。
③ 感情表現のコツ
管理会社の「303号室は、今月から空室のはずですが」は、事務的な口調で読んでください。恐怖の本質は、相手が淡々としていることにあります。主人公の「頭が、真っ白になった」も、叫びではなく、思考が停止した静けさとして表現するのが効果的です。
④ ラストの処理
「私はその夜も、眠れなかった」のラスト一文は、諦めに近い静かな声で読み終えてください。解決されない不安がそのまま聞き手にも残るように、語尾を宙に置いたまま、4秒の沈黙で締めくくります。答えが出ないこと自体が、この作品の怖さです。
── 台本本文 ──
その日、303号室のドアが、朝から開いたままだった。
私が気づいたのは、出勤前の八時過ぎ。ゴミを出しに廊下へ出たとき、隣の扉が、ほんの十センチほど、静かに開いているのを見た。
三年間、同じマンションに住んでいるが、隣の住人とまともに話したことはない。名前も知らない。女性らしいとは、たまにすれ違うシャンプーの匂いで何となく察していた。ただ、それだけだ。
気にしても仕方ない。私はそう思って、そのまま駅へ向かった。
問題は、夜に帰宅したときだった。
扉は、まだ開いていた。
角度まで、まったく同じだった。朝と寸分違わず、十センチ。まるで、時間が止まっているみたいに。
私は廊下に立ち、しばらくその隙間を見つめた。中は暗い。物音もしない。ただ、かすかに、生活の匂いがした。醤油か、あるいは味噌か。誰かがそこで暮らしている、という痕跡。
「……すみません」
声をかけてみた。返事はない。
もう一度。「すみません、お隣の者ですが」
静寂だけが返ってきた。
私は管理会社に電話しようとして、やめた。大げさかもしれない。もしかしたら、少し開けたまま外出しているだけかもしれない。そういうこともある。
そう言い聞かせて、自分の部屋に入った。
翌朝、扉はまだそこにあった。
十センチ。微動だにしない十センチ。
私はその日、仕事が手につかなかった。ランチを食べながら、スマートフォンで「隣人 ドア 開けっぱなし 何日」と検索した。出てきたのは、孤独死に関する記事だった。閉じた。
帰り道、コンビニに寄った。いつもは買わないホットスナックを買って、時間を潰した。部屋に帰りたくなかったわけじゃない。ただ、廊下を歩くのが、少し怖かった。
結局、夜の十一時に帰宅した。
扉は、閉まっていた。
思わず、息をのんだ。ほっとした、と思った次の瞬間、全身に鳥肌が立った。
誰かが、閉めた。
二日間開いていたドアを、誰かが、この数時間の間に閉めたのだ。
中に人がいる。生きている人間が、今この瞬間、あの扉の向こうにいる。
それは安心すべき事実のはずだった。なのに、私の足は廊下の途中で固まったまま、動かなかった。
何かが、おかしい。
うまく言葉にできない「おかしさ」が、胸の中でじわじわと広がっていた。
その夜、私は眠れなかった。
壁越しに、音がするような気がした。足音、とも言えない、引きずるような、低い音。気のせいかもしれない。古いマンションだから、音はよく響く。それはわかっている。わかっているのに、布団の中で、ずっと耳を澄ませていた。
翌日、管理会社に電話した。
「303号室の住人の方、最近見かけましたか。二日間ほどドアが開いていて……」
担当者は少し沈黙してから、言った。
「303号室は、今月から空室のはずですが」
頭が、真っ白になった。
「え、でも……去年まで、確かに誰かが住んでいて」
「前の入居者の方は、昨年十一月にご退去されています。その後、入居者はいらっしゃいません」
電話を切った後、私はしばらく、スマートフォンを握ったまま立ち尽くした。
空室。
ならば、あの匂いは何だったのか。あの音は。閉まったドアは。
気のせいだ。そう思いたかった。思おうとした。
でも、確かめずにはいられなかった。
廊下に出た。303号室のドアの前に立った。耳をそばだてる。静かだ。何も聞こえない。
ドアノブに、そっと手をかけた。
冷たかった。金属の、当たり前の冷たさ。
少しだけ、力を入れた。
鍵はかかっていなかった。
扉が、内側へ、ゆっくりと開いた。
暗い。カーテンが閉まっているのか、外の光も入ってこない。確かに、空室の気配はある。家具もなく、生活用品もなく、ただ、がらんとした空間が広がっている。
でも。
床に、一足の靴があった。
女性用の、小さな、黒いパンプス。揃えて置かれた、二足。
私は後退った。廊下に出た。自分の部屋に飛び込んで、鍵を閉めた。チェーンもかけた。
震える手で、再び管理会社に電話した。
「あの……303号室に、靴が……」
「靴、ですか」担当者の声が、わずかに変わった。「……黒い、パンプスでしたか」
私は、声が出なかった。
「実は、前の入居者の方が退去される際に、置いていかれたものがありまして。担当者が回収し忘れていたようで、大変失礼いたしました」
なんだ。そういうことか。
息を吐いた。力が抜けた。笑えるくらい、単純な話だった。
「ちなみに、前の入居者の方は、今どちらに」
何気なく聞いた。本当に、何気なく。
担当者は、また少し間を置いた。
「……それが、転居先のご連絡がないままで。こちらでも把握できておりません」
電話が終わった。
部屋の中は静かだった。冷蔵庫の唸る音だけが、低く続いていた。
私は、窓の外を見た。夜の街。灯りが点々と連なっている。何万という人が、それぞれの場所で、それぞれの夜を過ごしている。
転居先不明。
その言葉が、頭の中でゆっくりと回り続けた。
あの靴を、置いたまま。
行き先も告げずに。
誰にも気づかれないまま、消えた人間が、すぐ隣にいた。
私は、カーテンを閉めた。
鍵が、ちゃんとかかっているか、もう一度確かめた。
それでも、どうしてか、壁の向こうがずっと気になって、私はその夜も、眠れなかった。
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