【フリー朗読台本】振り返るのは、いつも君だった|8分・1人用|愛犬との別れで泣ける女性向け|声の書庫

感動・泣ける

📖 この台本について
⏱ 読了時間:約8分(2,400字)
👤 登場人物:女性1名(1人用)
🎭 ジャンル:感動
🎙 用途:朗読配信・練習・ボイスサンプル
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作品について

十六年をともに過ごした老犬「こむぎ」と、三十歳の飼い主の女性の物語です。いつも半歩先を歩き、必ず振り返っていた犬。年々短くなっていく散歩道と、最期の朝にもう一度だけ歩いた川沿いの道を、静かな一人称で描いています。

本作の読みどころは、「振り返る」という仕草が物語を通して意味を変えていく構成です。学校へ行けなかった中学時代の主人公と、仕事に疲れて実家へ戻った現在の主人公が重なり、犬との最後の散歩がそのまま彼女の再出発へとつながっていきます。爪がアスファルトを打つ「かち、かち」という音など、繰り返される小さなモチーフにも注目してください。

朗読は、感情を張り上げない穏やかなトーンが合います。悲しみを前面に出すよりも、思い出をひとつずつ手渡すような語りを意識すると、ラストの一行が自然に聞き手の胸に残ります。

朗読のポイントを見る(朗読される方向け・クリックで展開)

① 語りのトーン

全体は回想を語る、落ち着いた地声で読むのが効果的です。冒頭の「こむぎは、いつも少しだけ先を歩く犬だった。」は、懐かしい写真を眺めるような柔らかい声で始めると、聞き手が自然に物語へ入っていけます。

② 緩急のつけ方

「その道が、年々短くなった。」の一文は前後に一拍ずつ間を置き、声を半段落としてください。最後の散歩の場面では「かち、かち、と」を囁くように読み、こむぎの歩みの遅さに合わせてテンポをゆるめます。

③ 感情表現のコツ

クライマックスは、橋のたもとでこむぎが振り返る場面です。「……わかったよ。ちゃんと、渡るから」は泣き声にせず、こらえて少し震える程度にとどめると、かえって聞き手の涙を誘います。直後の「軽かった」は短く、息を呑むように。

④ ラストの処理

「振り返るのは、いつも君だった。」の前にしっかり間を取り、最後の「これからは、私の番だ。」は抑えた声のまま、ほんの少し前を向く明るさを込めて読みます。読み終えたあと三秒ほど無音を残すと、余韻が深まります。


台本本文

こむぎは、いつも少しだけ先を歩く犬だった。

リードがぴんと張るほどではない。半歩か、せいぜい一歩ぶん。私より先に角を曲がり、先に草むらの匂いを見つけ、そして必ず、振り返る。ちゃんとついてきているかを確かめるみたいに、茶色い耳を片方だけ立てて。

「待って、こむぎ。いま行くから」

十六年間、何度その言葉を言っただろう。

こむぎがうちに来たのは、私が中学二年の春だった。クラスに馴染めず、朝になるとお腹が痛くなって、玄関で靴を履いたまま動けなくなる。そんな毎日の中で、母が保護犬の譲渡会から連れて帰ってきたのが、まだ両手に収まるくらいの茶色い子犬だった。

「散歩は、あんたの係ね」

母はそれだけ言った。今思えば、あれは母なりの作戦だったのだと思う。朝、こむぎに起こされて外へ出る。川沿いの道を歩く。こむぎが先を行って、振り返る。それを追いかけているうちに、いつのまにか学校の前まで来ている。そんな日が、少しずつ増えていった。

高校受験の朝も、初めて失恋した夜も、就職で家を出た日も、こむぎは同じ顔で振り返った。帰省するたび玄関で待っていて、私の顔を見るなり、散歩のリードをくわえて持ってきた。

上京する朝、駅まで見送りについてきたこむぎは、改札の手前で一度だけ振り返って、それから母の足もとに座りこんだ。行っておいで、と言われた気がした。

その道が、年々短くなった。

最初は川沿いをぐるりと一周していたのが、橋までになり、公園の入り口までになり、去年の冬には、家の前の電柱までになった。後ろ足がもつれるようになったと母から電話をもらって、私は東京の部屋を引き払い、実家に戻ってきた。

こむぎのため、と母には言った。本当は、それだけじゃなかった。仕事に追われるうちに、朝起きても体が動かない日が増えていた。玄関で靴を履いたまま立ち尽くす。中学生のあの頃と、何も変わっていなかった。三十歳にもなって、と自分を笑う気力さえ、残っていなかった。

それでも毎朝、こむぎのために買った小さなカートを押して、外へ出た。

「今日は乗っていこうか。ね、こむぎ」

カートの中で、こむぎは鼻先だけを外に出して、風の匂いを嗅いでいた。

ある夜、母が台所で、洗い物の手を止めずにぽつりと言った。

「あの子ね、あんたが東京にいる間も、毎朝橋のところまで行って、しばらく向こうを見てたのよ」

私は、何も答えられなかった。

もうあまり時間はないでしょう、と獣医さんに言われたのは、三月の終わりだった。

その翌朝のことだ。

まだ空が白む前、こむぎが私の布団の横で、くうん、と鳴いた。何日も自分で立てなかったはずの子が、震える四本の脚で、ちゃんと立っていた。そして、玄関のほうを見た。

「……行きたいの?」

リードを見せると、しっぽが一度だけ、ゆっくり揺れた。

カートに乗せようとすると、こむぎは身をよじった。歩く、と言っているのがわかった。私はリードをいちばん長くして、音を立てないように玄関の戸を開けた。

四月の朝の空気は、まだ少し冷たかった。川沿いの桜が、半分ほど咲いていた。

すれ違う人はいなかった。聞こえるのは、川の流れる音と、こむぎの爪がアスファルトを打つ、かすかな音だけ。かち、かち、と。その音がこんなに愛おしいものだったなんて、私はずっと知らなかった。

こむぎは歩いた。一歩ずつ、地面を確かめるように。何度も立ち止まり、そのたびに息を整えて、それでも前へ進んだ。電柱を過ぎ、公園の入り口を過ぎた。この一年、一度もたどり着けなかった場所を、こむぎは静かに越えていった。

「こむぎ、無理しなくていいんだよ。抱っこしようか」

こむぎは振り返らなかった。

そのまま、橋のたもとまで歩いた。川にかかる、小さな石の橋。中学生の私が毎朝ここで立ち止まって、向こう岸の校舎を見上げては、引き返そうか迷っていた場所。

こむぎはそこで止まった。そして、ゆっくりと振り返った。

十六年前と同じ角度で。片方の耳だけを立てて。

その顔を見た瞬間、わかった。こむぎは、ずっとここで私を待っていたのだ。橋を渡れるかどうか迷う私を、何も言わずに、半歩先で。あの頃も、そして今も。毎朝ここまで来ていたのは、私が帰ってくる道を、忘れないためだったのかもしれない。

「……わかったよ。ちゃんと、渡るから」

声が震えた。しゃがみこんで、こむぎを抱きしめた。軽かった。驚くほど軽くて、温かかった。こむぎは私の頬をひとつだけ舐めて、それから、腕の中で目を閉じた。

眠ったのだと思った。家に連れて帰って、日の当たる窓辺に寝かせて、ずっと背中を撫でていた。昼を過ぎたころ、撫でていた手の下で、小さな呼吸が、そっと止まった。

苦しそうな顔は、していなかった。母と二人で、庭の隅の日だまりに、あの子の好きだった毛布ごと眠らせた。

それから、季節がひとつめぐった。

私は町の小さな会社で働きはじめた。出勤の前に、今も朝の川沿いを歩いている。リードは持っていない。手ぶらで歩くのは思っていたよりずっと難しくて、最初のうちは、何度も手のひらを握ったり開いたりした。

かち、かち、という音が、ときどき耳の奥で聞こえる。そのたびに足もとを見て、何もないことを確かめて、少しだけ笑う。

近所のおばあさんが、ときどき声をかけてくれる。

「あら、今日もお散歩? こむぎちゃんと同じ道ね」

「はい。この道しか、知らないので」

そう答えると、おばあさんは目を細めて、それ以上は何も聞かなかった。

橋のたもとに来ると、私は決まって足を止める。そして、振り返る。

誰もいない道を。朝の光が落ちているだけの、川沿いの道を。

そこに、半歩遅れて歩いてくる誰かがいるような気がして。あの頃の私みたいに、うつむいて、迷いながら歩いてくる誰かが。

もしもいたら、今度は私が待とうと思う。何も言わずに、半歩先で。

「行こうか」

小さくそう言って、私は橋を渡る。

振り返るのは、いつも君だった。

これからは、私の番だ。

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