【無料・フリー台本】春の終わりに、君の名前を呼んだ|5分・1人用・恋愛ジャンル|声の書庫

恋愛/青春

<p>桜が散りきった四月の初め、わたしはまだ春の夢を見ていた。</p><p>卒業式から三日が経っていた。クラスメートたちはもう新しい生活を始めているのに、わたしだけがあの体育館の空気の中に取り残されているような気がしていた。制服を畳んで押し入れに仕舞った日、なぜか涙が出た。制服のせいじゃない。わかってた。</p><p>彼女のことを考えていたから。</p><p>三年間、ずっと隣にいた。朝のホームルームの前、いつもわたしの席に来て、「おはよ」って言う声が好きだった。眠そうで、でも少しだけ笑っていて。その声を聞くためだけに、早起きが苦じゃなくなった。おかしいよね。そんなこと、誰にも言えなかった。</p><p>「ねえ、高校卒業したら何したい?」</p><p>去年の秋、屋上で彼女がそう訊いた。お弁当を食べながら、空を見上げながら、なんでもないふうに。わたしは「うーん、まだわかんない」って答えた。本当は、あなたのそばにいたいって思ってた。でも言葉にしたら壊れそうで、飲み込んだ。</p><p>彼女は「わたしは、遠くに行きたい気もするし、ここにいたい気もする」って言って、少し笑った。その横顔が、夕暮れに染まっていて、綺麗で、苦しかった。</p><p>卒業式の当日、みんなが泣いて、笑って、写真を撮っていた。わたしと彼女も何枚か一緒に撮った。カメラを向けられるたびに彼女はわたしの腕を掴んで、ぐっと引き寄せた。それだけで胸が痛かった。好きだった。ずっと、好きだった。</p><p>式が終わって、みんなが帰り始めたころ、彼女がわたしに言った。</p><p>「ちょっと残ってて。最後に、二人で話したいことある」</p><p>心臓が跳ねた。何を話すんだろう。何を言われるんだろう。怖かった。でも、その「話したいことある」の意味を、違う方向に受け取らないようにした。期待しちゃいけないと、ずっと自分に言い聞かせてきたから。</p><p>人がいなくなった体育館の隅で、わたしたちは並んで立っていた。外から桜の花びらが風に乗って入ってきて、床に落ちた。</p><p>彼女はしばらく黙っていた。</p><p>「……ずっと言えなかったんだけど」</p><p>声が少し、震えていた。</p><p>「あなたのことが好きだった。ずっと。友達として、じゃなくて」</p><p>時間が止まったと思った。違う、時間は動いていた。外の風が、また花びらを運んできていた。ただ、わたしの頭の中だけが止まっていた。</p><p>「……わたしも」</p><p>声に出せたのか、出せなかったのか、自分でもわからなかった。でも彼女は、わたしの顔を見て、目を細めた。</p><p>「聞こえた」</p><p>そう言って、笑った。泣きそうな顔で、笑った。</p><p>わたしたちは、何も解決していない。これからどうなるかも、何も決まっていない。彼女は春から別々の場所に進む。わたしも。距離が開く。時間が変わる。簡単じゃない。</p><p>それでも。</p><p>「名前、呼んでいい?」って彼女が言った。苗字じゃなくて、名前で。三年間、一度も呼ばれたことのなかった名前で。</p><p>わたしは頷いた。</p><p>体育館に、わたしの名前が、静かに響いた。</p><p>あの日の春の終わりを、わたしはきっとずっと覚えている。桜の残り香と、震えた声と、初めて名前を呼ばれたあの瞬間を。——それだけで、もう十分だと思った。いや、本当はもっと欲しかった。でも今は、ただ、あの声に包まれていたかった。</p><p>春が終わる。でも、何かが、始まった気がした。</p>

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