【フリー朗読台本】雨は、のぼっていく|7分・1人用|疲れた夜に聴きたい癒し朗読|声の書庫

ファンタジー・異世界

📖 この台本について
⏱ 読了時間:約7分(2,064字)
👤 登場人物:男性1名(1人用)
🎭 ジャンル:ファンタジー/異世界
🎙 用途:朗読配信・練習・ボイスサンプル
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作品について

仕事に疲れ、誰の待つ家もない男が、雨の坂道を俯いて歩いている。そんな夜、降りやんだ空から、霧でできた一本の坂道が立ちのぼる。のぼった先に広がっていたのは、地上に降り終えた雨たちが静かに眠る、雲の上の野原でした。本作は、ふと迷い込んだひとときの異世界を、穏やかな一人称で描いた物語です。

派手な事件も、劇的な救済も起こりません。ただ、「雨でさえ、休む」という小さな気づきが、張りつめていた心をそっとほどいていきます。前へ進むことばかりを自分に課してしまう人ほど、語り手の独白が、自分自身の声のように響くはずです。

朗読の際は、声を張らない、抑えた穏やかなトーンがよく合います。疲れきった語りから、ふと心がほどける瞬間へ。静かに語りかけるように読むことで、ラストの余韻がいっそう深く残ります。

▶ 朗読のポイントを見る(朗読される方向け・クリックで展開)

① 語りのトーン

全体を通して、声を張らず、抑えた穏やかなトーンで読みます。冒頭の「……もう、ちょっとだけ、休みたいな」は、誰かに聞かせるためではなく、思わず漏れてしまったひとり言として、囁くように発してください。

② 緩急のつけ方

「それは、坂になっていた。」の前後で、一拍、しっかり間を取りましょう。日常から異世界へ切り替わる、大切な境目です。雨粒の声「ここはね、降りきった雨が、ひとやすみする場所。」は、やわらかく、少しゆっくりめに。

③ 感情表現のコツ

「気づくと、頬が、濡れていた。雨では、なかった。」は、本作の感情の頂点です。涙を演じすぎず、声をわずかに震わせる程度に抑えると、かえって深く届きます。淡々と読むことを意識してください。

④ ラストの処理

結びの「不思議と、足が、軽かった。」は、明るく言い切らず、ほっと息をつくように、静かに置きます。読み終えたあと、数秒の沈黙を残すと、余韻がいっそう広がります。


台本本文

その日も、雨だった。

傘を持つ手が、やけに重かった。仕事帰りの坂道を、俯いたまま歩いていた。靴の中まで濡れて、足の指がふやけている。家に帰っても、待っている人はいない。あたたかい灯りも、誰かの声もない。明日もまた、同じ時間に起きて、同じ電車に揺られて、同じ机に向かう。ただ、それだけのことが、どうしてこんなに、重いのだろう。誰かに弱音を吐くこともできないまま、私は、もう何年も、この坂道を、同じ顔で歩いている気がした。

「……もう、ちょっとだけ、休みたいな」

誰にともなく、そう呟いた。私の声は、雨の音に溶けて、すぐに消えた。きっと、誰の耳にも届かない。届けるつもりも、なかった。

その時、ふいに、雨がやんだ。

さっきまでの土砂降りが、嘘のように静かになった。見上げると、雲の切れ間から、淡い金色の光が差している。そして、足元の濡れたアスファルトから、白い霧のようなものが、ゆっくりと立ちのぼっていた。

それは、坂になっていた。

霧でできた、ゆるやかな坂道。空のほうへと、まっすぐに続いている。子どもの頃、こういうものが見えた気がする。雨上がりの夕方の、世界の境目が、ほんの少しだけ柔らかくなる、あの時間。大人になって、いつのまにか、見えなくなっていたものだ。

なぜだろう。気づくと私は、その坂に、足をかけていた。

霧は、思いのほか、しっかりと私を支えてくれた。一歩、また一歩。坂をのぼるたびに、不思議と、足が軽くなっていく。肩に背負っていた重たいものが、ひとつ、またひとつと、ほどけて落ちていくみたいに。傘も、鞄も、いつのまにか、手から消えていた。

坂をのぼりきると、そこは、見たこともない場所だった。

雲の上に広がる、静かな野原。見渡すかぎり、無数の水の珠が、ふわふわと宙に浮かんでいた。雨粒だ。地上に降り終えた雨たちが、ここで、静かに休んでいる。淡い光を受けて、きらきらと、まるで眠っているように瞬いていた。風もない。音もない。ただ、やわらかな静けさだけが、どこまでも広がっている。地上の喧騒も、明日の不安も、ここまでは届かないようだった。私は、しばらく言葉を失って、その光景に見とれていた。

「……あなたも、降ってきたの」

声が、聞こえた。誰の声でもない。たくさんの雨粒たちが、いっせいに揺れて、そう囁いたように感じた。

「ここはね、降りきった雨が、ひとやすみする場所。空にのぼって、また雲になるまで、しばらく、ここで眠るの」

私は、そっと、その場に腰をおろした。すぐ隣で、ひとつの雨粒が、ぷかりと浮かんでいる。手を伸ばせば、消えてしまいそうなほど、頼りなく、やさしい光だった。

「雨もね、ずっと降りっぱなしじゃ、ないんだよ。降って、休んで、また、のぼる。それを、ずうっと、繰り返してるの。誰かのために急ぐわけでも、競うわけでもなくね」

その言葉は、なぜだか、胸の奥の、ずっと固く結ばれていた場所に、すうっと染み込んでいった。私は、ずっと、降り続けなければいけないと思っていた。立ち止まったら、誰かに迷惑をかける。休んだら、そのぶん、置いていかれる。前へ、前へと進まなければ、自分には価値がない。そう思い込んで、ずっと、自分の足を、止められずにいた。

でも、雨でさえ、休むのだ。

地上を濡らして、誰かの傘を叩いて、川になって、海になって。そうして役目を終えた雨が、こうして、静かに休んでいる。休んで、また、のぼっていくのだ。

気づくと、頬が、濡れていた。雨では、なかった。それは、ずいぶん久しぶりにこぼれた、私自身の涙だった。

どれくらい、そうしていただろう。やがて雨粒たちが、ひとつ、またひとつと、ゆっくり空へのぼりはじめた。次の雲に、なりにいくのだ。光の珠の行列が、夜になりかけた空へ、静かに昇っていく。その光景は、ただ、ただ、美しかった。

「そろそろ、あなたも、戻る時間」

私は、ゆっくりと、立ち上がった。来た坂を、一歩ずつ、下りていく。下りる足は、のぼってきた時よりも、ずっと軽かった。

坂を下りきると、霧の道は、もう、どこにも見当たらなかった。アスファルトは、まだ濡れている。深く息を吸うと、雨上がりの、土と水の匂いがした。手には、いつのまにか、傘と鞄が戻っている。

明日も、たぶん、同じ一日が来る。同じ時間に起きて、同じ電車に揺られて、同じ坂道を歩くのだろう。何も、変わらないのかもしれない。世界は、私が休んだことなんて、きっと知らないままだ。

でも、もう、いいんだ。

降って、休んで、また、のぼればいい。それだけのことを、ただ、繰り返していけばいい。立ち止まる日があっても、それは、置いていかれることじゃない。ただ、次にのぼるための、ひとやすみなのだ。あの雨たちが、そう教えてくれた。

私は、空を見上げた。雲の切れ間が、名残惜しそうに、ゆっくりと閉じていく。さっきまで隣にいた雨たちは、もう、あの雲の、どこかにいるのだろう。

そして、また、いつか、私の街に降ってくる。

その時は、傘を、ささずにいよう。

濡れた頬を、手のひらで、そっと拭った。

不思議と、足が、軽かった。

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