📖 この台本について
⏱ 読了時間:約8分(約2,400字)
👤 登場人物:男性1名(1人用)
🎭 ジャンル:ファンタジー・異世界
🎙 用途:朗読配信・練習・ボイスサンプル
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作品について
「ここで、待っていますから」は、この世とあの世の境にある、峠の小さな茶屋を舞台にした静かな幻想譚です。語り手の老店主は、長い旅を終えた者たちに温かい食事を一膳ずつ出し、笑顔で送り出してきました。客たちは自分がもう歩き終えたことに気づかぬまま、身軽になって、それぞれの行き先へと去っていきます。そんなある夕暮れ、ひとりの若い女が暖簾をくぐってきたとき、物語は静かに動き出します。
この作品の読みどころは、「人を見送り続けた店主自身が、実はずっと誰かに見送られるのを待っていた」という、終盤で反転する構図にあります。誰のために、なぜこの店を開いたのか——伏せられていた理由が、客との再会によってそっと明かされていきます。喪失の物語でありながら、最後に残るのは哀しみではなく、あたたかな安らぎです。
朗読する際は、長い歳月を見つめてきた者の穏やかで落ち着いた低めのトーンを基調にしてください。感情を声高に語らず、終盤の再会の場面でだけ、ほんのわずかに声の温度を上げると、ラストの余韻がより深く響きます。
▶ 朗読のポイントを見る(朗読される方向け・クリックで展開)
① 語りのトーン
主人公は、長く店番を続けてきた老店主です。声はやや低く、ゆったりと、囁くように落ち着いて。冒頭の「あなたの行きたい場所へ、ちゃんと続いていますよ。心配は、いりません」は、淡々と、しかし芯にやさしさを込めて読むと、店主の人柄が一息で立ち上がります。
② 緩急のつけ方
旅人を見送る場面は穏やかに流し、「その人がもう、二度とここへは戻ってこないことを、知りながら」の一文の前で、一拍、間を取ってください。ここで声を落とすと、物語の底に流れる切なさがそっと立ち上がります。
③ 感情表現のコツ
妻が「やっと、見つけました」と告げる場面が山場です。声を張らず、抑えたまま、ほんのわずかに震わせてください。こらえる息づかいを意識すると、長い歳月の重みが伝わります。涙を出すより、こらえるほうが効果的です。
④ ラストの処理
最後の「だからもう、何も、心配は、いらない」は、冒頭で旅人にかけた言葉の反復です。今度は自分自身に言い聞かせるように、ゆっくりと、消え入るように締めてください。読点ごとに静かに間を置くと、深い余韻が残ります。
台本本文
峠を越える道の途中に、小さな茶屋がある。屋根の低い、煤けた古い店だ。私はそこで、もう長いこと、たったひとりで店番をしている。
朝は霧が深く、昼は鳥の声が降り、夜には風が戸を鳴らす。季節がいくつ巡ったのか、もう数えるのもやめてしまった。木々が芽吹いては色づき、雪が積もってはまた溶ける。その繰り返しの中で、私はずっと、ここに立っている。
旅人がやってくると、私はまず湯を沸かす。冷えた手をあたためてもらうために、まずは熱いお茶を一杯。それから、その人がいちばん食べたかったものを、そっと膳に出してやる。不思議なことに、この店では、客の望んだものが、自然と膳の上に並ぶのだ。焼きたての握り飯のときもあれば、母親が作っていたという、湯気の立つ煮物のときもある。
「ああ、これだ。懐かしいな」
そう言って、客は目を細める。ひと口食べて、ほうっと息をつく。長い旅で固くなっていた肩が、ゆっくりとほどけていくのが、見ていてわかる。
私はその様子を、ただ黙って見ている。急かしはしない。この店に立ち寄る人は、みな、ずいぶん遠くから、長い道のりを歩いてきた人ばかりだから。
昨日は、小さな男の子が来た。母を探していると言って、半分泣きべそをかいていた。私が甘い団子を出してやると、ようやく笑って、夢中で頬張った。一昨日は、腰の曲がった老人が来た。遠い昔の戦の話を、ぽつりぽつりと語り、最後に「もう、誰も恨んではおらんよ」と、ずいぶん穏やかに笑った。その前の日には、花嫁衣装の女が来て、会えなかった人の名を、ひとつだけ呟いていった。みな、長い旅のあいだに抱えてきた重い荷物を、ひとつ、またひとつと、この店にそっと置いていく。そうして、ずいぶん身軽になった顔で、また歩いていくのだ。
食べ終えると、客は決まって、同じことを尋ねる。
「ご主人。この先の道は、どこへ続いているんだい」
私はいつも、同じように答える。
「あなたの行きたい場所へ、ちゃんと続いていますよ。心配は、いりません」
すると客は、少しほっとした顔をして立ち上がる。店を出るとき、私は決まって、その背中に声をかける。
「お気をつけて。いってらっしゃい」
その人がもう、二度とここへは戻ってこないことを、知りながら。
本当は、わかっているのだ。ここを通る旅人たちが、どういう人たちなのか。みな、この世での長い旅を、もう終えた人たちだ。けれど誰ひとり、自分が歩き終えたことに気づいてはいない。だから私は、何も言わない。ただ温かいものを出して、笑って送り出す。それが、この峠の茶屋に残された、たったひとつの、私の役目だった。
ある夕暮れのことだった。日が傾いて、峠の木々がいちめん赤く染まるころ、ひとりの女が、暖簾をくぐってきた。
年のころは、まだ若い。けれど、その目には、どこか懐かしい光があった。私の胸の奥が、ことりと、小さな音を立てた。
「いらっしゃい。寒かったでしょう。さあ、こちらへ。あたたかいお茶を、いま淹れますから」
私はいつものように湯を沸かそうとして、ふと、手が止まった。
膳の上に、ひとりでに料理が並んでいく。それは、私がよく知っているものだった。少し焦げた卵焼き。塩の効きすぎた味噌汁。昔、誰かが私のために、毎朝こしらえてくれていた、不器用な、けれど何より温かい、あの味だった。
「……あなたは」
女は、まっすぐに私を見て、ふわりと微笑んだ。
「やっと、見つけました。ずいぶん探したんですよ、あなたのこと」
その声を聞いた瞬間、こらえていたものが、胸の奥で、すべてほどけていった。忘れていたのではない。思い出さないように、ずっと固く、蓋をしていただけなのだ。
私にも、待っている人がいた。ずっと昔に、私を残して先に逝ってしまった、妻だった。いつか必ず迎えに行くから、と言い残して、私はこの峠に、小さな店を開いた。そうして、来る人、来る人に温かいものを出しながら、あの人がいつか、この道を通りかかるのを、何年も、何十年も、ただひたすらに待ち続けてきたのだ。
待つうちに、季節は何度も巡り、訪れる旅人の顔も、いつしか覚えきれなくなった。そうしているうちに、私はとうとう、自分自身もずっと前に旅を終えていたことさえ、すっかり忘れてしまっていた。待ち続けることだけが、いつのまにか、私のすべてになっていたのだ。
「遅くなって、ごめんなさい。あなたを、こんなに長いあいだ、ひとりにして」
妻はそう言って、私の前に、そっと腰を下ろした。私がこれまで、幾人もの旅人にしてきたのと、同じように。今度は、私のために、膳がひとつ、静かに整えられていた。
「いいんだ。あなたが謝ることなんて、ひとつもない。……ちゃんと、あたたかいうちに、来てくれた。それで、もう、じゅうぶんだよ」
ずっと言いたかった言葉は、いざとなると、ひとつも出てこなかった。ただ、目の奥が熱くなって、それでも私は、精いっぱい笑ってみせた。
私は震える手で、湯呑みを差し出した。妻はそれを両手で受け取り、ひと口飲んで、ほうっと、息をついた。この店を訪れたあの旅人たちと、まったく同じ、心から安らいだ顔で。
外では、日が静かに沈もうとしていた。峠も、空も、やわらかな茜色に溶けていく。けれど不思議と、寂しさは、少しもなかった。
「さあ、行こうか」
私は立ち上がり、長いこと、絶やさず灯し続けてきた竈の火を、そっと落とした。暖簾を下ろし、戸口にゆっくりと手をかける。
この店に、次の客は、もう来ない。私が、誰かを待つ理由も、もう、なくなったのだから。
肩を並べて歩き出すと、妻が、いたずらっぽく小さく笑った。
「お店、繁盛してた?」
「ああ。みんな、いい顔をして、帰っていったよ」
峠の道が、沈みゆく夕日の中に、ゆるやかに続いている。その先に何があるのか、私はもう、ちゃんと知っている。
行きたい場所へ、この道は、ちゃんと続いている。だからもう、何も、心配は、いらない。
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