【フリー朗読台本】その自転車、まだ乗られている|5分・1人用|じわじわ怖い日常系が好きな方へ|声の書庫

ミステリー・サスペンス

📖 この台本について
⏱ 読了時間:約5分(約1500字)
👤 登場人物:男性1名(1人用)
🎭 ジャンル:ミステリー・サスペンス
🎙 用途:朗読配信・練習・ボイスサンプル
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作品について

マンション管理会社に勤める男性が、月に一度の駐輪場点検で目にした、一つの矛盾から始まる物語です。退去したはずの住人の名前が名簿に残り続け、その持ち主の自転車だけが、なぜか今も手入れされたような艶を保っています。

この作品の読みどころは、派手な事件が起きるわけではないのに、日常の点検業務の中に少しずつ違和感が積み重なっていく構成にあります。タイヤの空気、油の艶、濡れた跡――小さな発見の連続が、静かな緊張感を作り出します。

朗読する際は、淡々とした業務報告のようなトーンを保ちながら、違和感の瞬間にだけわずかに間を置くと、日常の中に潜む不穏さがより際立ちます。感情を大きく揺らさず、抑えた語りで進めるのがおすすめです。

▶ 朗読のポイントを見る(朗読される方向け・クリックで展開)

① 語りのトーン

全体を通して、事務的で淡々とした語りを基調にしてください。感情を込めすぎず、業務日誌を読み上げるような落ち着いた声が、この作品の不穏さを引き立てます。

② 緩急のつけ方

「誰か、手入れしてるんですか」という問いかけの後、管理人の「さあ。私は触ってませんよ」という返答の前には、一拍しっかり間を置いてください。この沈黙が、違和感を読者に手渡す瞬間になります。

③ 感情表現のコツ

防犯登録の照会結果が届く場面では、驚きよりも、じわりと冷えていくような静かな動揺を声に乗せてください。大きな抑揚をつけず、声のトーンをわずかに落とすだけで十分です。

④ ラストの処理

最後の「気がして」の部分は、囁くように、余韻を残して語尾を消え入らせるように読むと、聴き手の想像を掻き立てる終わり方になります。


台本本文

マンションの管理会社に就職して、七年になる。担当しているのは築二十年になる中規模のマンションで、月に一度、駐輪場の点検を任されている。登録シールの番号と名簿を照らし合わせ、使われていない自転車がないか、放置車両がないかを確認していく。地味な仕事だが、埃をかぶった自転車の数だけ、そこに人の暮らしがあったのだと思うと、嫌いではなかった。

その日も、いつものように名簿を片手に、一台ずつ番号を確認していった。三階の住人、四階の住人、順調に進んでいたが、五階の欄で手が止まった。

田辺、という名前があった。

その名前には見覚えがあった。五年前、まだ新人だった自分が引き継ぎ資料で目にした名前だ。田辺様は、たしかそのころに退去しているはずだった。それなのに、名簿にはまだその名前が、当たり前のように残っている。

事務所に戻り、古株の管理人に尋ねてみた。

「田辺さんって方、もう退去されてますよね。名簿、更新し忘れてるみたいで」

管理人は顔も上げずに、ぽつりと答えた。

「ああ、田辺さんね。あの自転車、まだそこにあるでしょう」

言われて振り返ると、駐輪場の隅、いつも同じ位置に、色あせた水色の自転車が停まっていた。触れてみると、長年放置されている割には、タイヤに思いのほか空気が入っている。錆びついていてもおかしくないチェーンには、うっすらと油の艶まで残っていた。

「誰か、手入れしてるんですか」

そう尋ねると、管理人は少し困ったように笑って、それだけ答えた。

「さあ。私は触ってませんよ」

その日から、駐輪場を通るたびに、水色の自転車が気になるようになった。ある朝は、サドルの高さが、前日と違う気がした。ある晩は、前かごの中に、濡れた跡があった。雨など、何日も降っていないのに。別の日には、後輪の泥よけに、見覚えのない小石が挟まっていた。まるで、どこか遠くの道を走ってきたばかりのように。小さな違和感が、少しずつ積み重なっていくのを、見て見ぬふりすることができなくなっていった。

気になって、防犯登録シールの番号を、知り合いの警察関係者に頼んで照会してもらうことにした。数日後に届いた返事は、思っていたよりずっと重かった。

田辺という名の持ち主は、三年前に、他界していた。

背筋が冷えた。ならば、あの自転車を動かしているのは、誰なのか。名簿から名前を削除するべきかどうか、何日も迷い続けた。消してしまえば、何かが終わる。消さなければ、このままなのかもしれない。そんな根拠のない予感が、決心を鈍らせていた。田辺という人がどんな顔をしていたのか、自分は一度も見たことがない。それなのに、あの水色の自転車を見るたび、誰かに見られているような気配だけを、はっきりと感じていた。

それでも、いつまでも放っておくわけにはいかない。ようやく決心がついたのは、ひどく静かな夜のことだった。

事務所にひとり残り、パソコンの名簿から「田辺」の文字を、削除した。画面の中でその名前が消えるのと同時に、どこか遠くで、自転車のベルが、小さく一度だけ鳴ったような気がした。

空耳だと、自分に言い聞かせた。戸締りを済ませ、いつもの帰り道、駐輪場の前を通り過ぎる。

水色の自転車は、もうそこになかった。

停めてあったはずの場所には、雨も降っていないのに、タイヤの跡だけが、うっすらと濡れて残っていた。誰かが、たった今そこから走り去ったばかりのように。

その跡は、次の朝には、きれいに乾いて消えていた。名簿からも、記憶からも、田辺という名前は少しずつ薄れていった。

ただ、今でも駐輪場のあの一角を通るとき、ふと足を止めてしまう自分がいる。水色の自転車がまだそこにあるような、そんな気がして。

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