【フリー朗読台本】黒い犬を見た夜|15分・1人用|静かな狂気を演じたい男性向け|声の書庫

ミステリー・サスペンス

📖 この台本について
⏱ 読了時間:約15分(4,500字)
👤 登場人物:男性1名(1人用)
🎭 ジャンル:ミステリー・サスペンス
🎙 用途:朗読配信・練習・ボイスサンプル
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作品について

この作品は、町外れの古い診療所に通う中年男性が、毎週水曜日の夜、帰り道で「黒い犬」を目撃するようになるところから始まるミステリー朗読台本です。最初はただの野良犬だと思っていた。だが、犬は同じ場所、同じ時刻に必ず現れ、こちらをじっと見ている。男はその犬の存在を医師に話し、町の人に尋ね、自分の記憶を辿る。そうして辿り着く先には、十年前に閉鎖された林道と、家族にも話したことのない、一夜の出来事があった。

この作品の読みどころは、「目撃した」と「思い出した」の境界が静かに溶けていく語りの構造にあります。派手な事件は起きません。犬は吠えず、襲わず、ただ立っている。それでも、語り手の独白を辿るうちに、聴く人は気づきます——本当に怖いのは犬の正体ではなく、語り手が何を忘れたまま生きてきたのか、ということに。

朗読する際は、抑えた中低音を基調に、感情をほとんど表に出さない一定のトーンで語ってください。語り手は決して取り乱しません。むしろ淡々と、ノートに書き留めるような口調で進めることで、終盤の一行が持つ重みが際立ちます。

▶ 朗読のポイントを見る(朗読される方向け・クリックで展開)

① 語りのトーン

語り手は四十代後半の落ち着いた男性です。声はやや低く、感情の起伏を抑えた一定のトーンを基調にしてください。冒頭の「黒い犬を、初めて見たのは、去年の十月の水曜日だった」という一文は、これから語る出来事の重大さを聞き手にまだ悟らせない、平静な語り口が理想です。日記を読み上げるような距離感を意識してください。

② 緩急のつけ方

診療所の医師に「先生、犬の話なんですが」と切り出す場面では、声をわずかに落とし、躊躇いの間を一拍置いてください。逆に、林道の記憶が蘇る後半の独白部分は、間を詰めずに淡々と読み続けることで、思考が止められなくなっていく語り手の内面が伝わります。

③ 感情表現のコツ

クライマックスで「あれは、犬ではなかったのかもしれない」と気づく瞬間は、声を張らないでください。むしろ呼吸を浅くし、囁くより少し強い程度の音量で、確信ではなく「気づいてしまった」という諦めに近い色を乗せます。涙や震えは不要です。静かであるほど効きます。

④ ラストの処理

最終段落「今夜も、水曜日だ」は、感情を完全に削ぎ落とした平坦な声で読んでください。読み終えた後、二秒の沈黙を置いてから音源を切ると、余韻が最大になります。聴く人に「この男はこれからどうするのか」を考えさせる、開かれた終わり方を意識してください。


台本本文

黒い犬を、初めて見たのは、去年の十月の水曜日だった。

診療所からの帰り道、町外れの自販機の前。街灯の光がぎりぎり届く境目に、その犬は立っていた。中型犬くらいの大きさで、毛は短く、痩せても太ってもいない。リードはなく、首輪もなかった。私が立ち止まると、犬もこちらを見た。吠えはしなかった。唸りもしなかった。ただ、見ていた。

私は、軽く頭を下げて、その横を通り過ぎた。なぜ頭を下げたのかは、わからない。

翌週の水曜日も、犬はいた。同じ自販機の前、同じ位置に、同じ姿勢で立っていた。私はその夜、家に帰ってから手帳に「水曜、二十時十五分、自販機前、黒い犬」と書き留めた。なんとなく、書き留めておかなければならない気がした。

三週目、四週目、五週目。犬は毎週、必ずそこにいた。雨の日も、風の強い日も、月の出ない夜も。私が通る時刻に合わせるように、街灯の境目に立っていた。

六週目の夜、私は診療所の医師に話した。

「先生、犬の話なんですが」

医師は、カルテに目を落としたまま、ペンの動きを止めなかった。

「犬がどうかしましたか」

「毎週、同じ場所に、同じ犬が、いるんです」

医師は、ようやくペンを止めて、私を見た。眼鏡の奥の目が、いつもと少し違って見えた。

「それは、首輪はありますか」

「ありません」

「あなたに、何かしますか」

「いえ。ただ、立って、見ているだけです」

医師は、しばらく黙っていた。それから、ゆっくりとカルテを閉じた。

「保健所に、連絡を入れておきましょうか」

「いえ、それは、結構です」

私は、自分でも驚くほど即座に断っていた。なぜ断ったのか、その時の私には、まだ説明がつかなかった。

七週目。私は、犬の前で初めて立ち止まった。

距離は、五メートルほど。犬は、相変わらず吠えなかった。私は、ポケットからボールペンを取り出し、手帳に走り書きをした。「目は、合っている」「耳は、動かない」「尻尾は、垂れたまま」。書きながら、自分が何を確認しようとしているのか、わからなかった。

家に帰って、私は古い段ボール箱を押し入れから引きずり出した。中には、十年以上前の手帳と、写真と、新聞の切り抜きが入っていた。普段は決して開けない箱だった。妻にも、子供たちにも、見せたことはなかった。

箱の底に、一冊の手帳があった。十年前の、十月の手帳。

十月の最終週、水曜日のページに、私は何かを書いていた。

「林道、二十一時、終わった」

その七文字だけだった。

八週目。私は、診療所の帰りに、いつもとは違う道を選んだ。自販機の前を通らない、遠回りの道。三十分かけて家に帰った。

玄関を開けた時、廊下の奥に、黒い犬が立っていた。

いや、立っていたのは、犬ではなかったのかもしれない。一瞬のことで、目を凝らした時にはもう、そこには何もなかった。妻が台所から「おかえりなさい」と声をかけてきた。私は、靴を脱ぎながら、自分の手が震えていることに気づいた。

その夜、私は十年前の手帳を、もう一度開いた。

「林道、二十一時、終わった」

終わった、とは、何が終わったのか。

私は、思い出そうとした。だが、思い出せなかった。思い出せないということが、何より怖かった。

九週目の水曜日、私は意を決して、自販機の前で立ち止まり、犬に向かって声をかけた。

「お前は、何だ」

犬は、答えなかった。当然だ。犬は、答えない。だが、犬の目は、確かに私を見ていた。私のことを、知っている目だった。

その夜、私は寝つけずに、リビングのソファで天井を見つめていた。

十年前の十月、私は、ある林道にいた。それは思い出せる。仕事の付き合いで、男が三人。私は、運転手だった。林道の奥で、何かがあった。何があったのかは、思い出せない。ただ、帰り道、助手席の男が、後部座席に向かって「もう、終わったから」と言ったのは、覚えている。

後部座席には、誰がいたのか。

私は、思い出せなかった。

いや。思い出せないのではなく、思い出さないようにしてきたのかもしれない。

十週目の水曜日、雨が降っていた。私は傘を差し、自販機の前を通った。犬は、雨の中に立っていた。濡れていなかった。雨が、犬の毛に触れずに、すり抜けていた。

私は、それを見て、ようやく理解した。

あれは、犬ではなかったのかもしれない。

家に帰り、私はもう一度、段ボール箱を開けた。十年前の新聞の切り抜きが、底から出てきた。「町外れの林道で、男性の遺体発見」。記事の日付は、十月の最終週、木曜日。私が手帳に「終わった」と書いた、翌日だった。

記事の中に、被害者の名前があった。私の知らない名前だった。少なくとも、私の記憶の中には、ない名前だった。

だが、写真があった。小さな、不鮮明な、白黒の写真。

その男の足元に、黒い犬が、写っていた。

私は、新聞を畳んだ。手帳を閉じた。段ボール箱の蓋を閉めた。押し入れの奥に、戻した。

そして、カレンダーを見た。

今夜も、水曜日だ。

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