📖 この台本について
⏱ 読了時間:約15分(約4,390字)
👤 登場人物:女性1名(1人用)
🎭 ジャンル:ホラー/怪談
🎙 用途:朗読配信・練習・ボイスサンプル
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作品について
祖母の葬儀のあと、十年ぶりに山あいの実家へ戻った女性。そこで彼女は、幼いころに祖母から繰り返し言い聞かされた、ひとつの掟を思い出します。「裏の戸の向こうから名前を呼ばれても、二度目までは返事をしてはいけない」――静まり返った夜の家で、その声は、ほんとうに聞こえてしまう。日本の田舎に伝わる「呼び声」の禁忌を題材にした、和風怪談の朗読台本です。
この作品の怖さは、悲鳴やショックではなく、「ルールを守ったのに助からない」という静かな絶望にあります。一度目、二度目、そして三度目――呼ばれる声の距離が少しずつ近づいてくる構成で、聞き手の緊張をじわじわと高めていきます。語り手の独白を通して、祖母が最後まで教えてくれなかった「なにに気づかれるのか」という空白が、ラストまで尾を引きます。
朗読では、序盤の回想を静かで淡々としたトーンで運び、声が近づくにつれて少しずつ呼吸を浅くしていくのが効果的です。叫ばず、抑えた語りのまま追い詰められていく――その温度差が、この台本の見せ場になります。
① 語りのトーン 全体を通して、声を張らず、抑えた低めのトーンで語ってください。この作品は「思い出を語り直している」独白です。冒頭の「祖母が亡くなって、私は十年ぶりに、あの家へ戻った」は、淡々と、しかしどこか取り返しのつかなさをにじませて。怖がらせようとせず、淡々と語るほど、後半の恐怖が際立ちます。 ② 緩急のつけ方 「『——ちゃん』」と名前を呼ばれる箇所は、その直前で必ず一拍、間を取ってください。一度目は遠く小さく、二度目はやや近く、三度目「縁側の、すぐそこ」は息を呑むように。「二度目。」「それが、三度目だった。」といった短い一文は、たっぷり間を置いて、囁くように落とします。 ③ 感情表現のコツ 「……はい」という返事は、本作の心臓部です。震えて、喉に引っかかるように、絞り出してください。繰り返される「呼ばれて、答える。呼ばれて、答える」は、感情を込めるより、感情を失った機械的な反復として読むほうが不気味さが増します。 ④ ラストの処理 「ほら。」のあと、最後の「『——ちゃん』」は、絶望でも悲鳴でもなく、ごく静かに、諦めたように置いてください。読み終えたあと2〜3秒、無音の余韻を残して終えると、聞き手の背筋にゾッとしたものが残ります。▶ 朗読のポイントを見る(朗読される方向け・クリックで展開)
台本本文
祖母が亡くなって、私は十年ぶりに、あの家へ戻った。
山のふもとにある、古い木造の家だ。戸の建て付けが悪く、開け閉めのたびに、きしんだ音を立てる。葬式が終わると、集まっていた親戚たちは、ひとり、またひとりと帰っていった。最後に家へ残ったのは、私だけだった。明日になれば、形見の品を片づけて、この家を引き払う。だから、せめて今夜だけは、ここで過ごそうと思った。
子どものころ、夏になると、私はこの家に預けられていた。両親が共働きで、長い休みのあいだ、見てくれる人がいなかったからだ。祖母は、無口な人だった。昔話を聞かせてくれることもなければ、子守歌を歌ってくれることもなかった。縁側で、ただ黙って、山のほうを眺めている。そんな後ろ姿ばかりを、私は覚えている。
けれど、ひとつだけ、祖母が何度も繰り返し、私に言い聞かせたことがある。
「夜にな、裏の戸の向こうから、お前の名前を呼ぶ声がすることがある。けどな、二度目までは、絶対に、返事をしてはいかんよ」
子どもだった私には、その意味が、まるでわからなかった。
「どうして、二度目まではだめなの」
そう尋ねても、祖母は囲炉裏の火を見つめたまま、すぐには答えなかった。しばらくして、ぽつりと、低い声で続けるのだった。
「三度呼ばれて、それでも声がやまなんだら……そのときだけは、返事をしなさい。けど、一度でも応えたなら、最後の最後まで、応えつづけんといかん。途中でやめたら、気づかれてしまうからな」
「なにに、気づかれるの」
祖母は、それきり、何も言わなかった。ただ、火箸で灰をかき混ぜる音だけが、暗い部屋に響いていた。
あのころは、ただの田舎の言い伝えだと思っていた。山に住む獣を、夜に呼び寄せないための、子ども向けの脅し文句なのだと。
けれど、一度だけ。子どもだった私が、その声を、聞いたことがある。
あれは、預けられていた夏の、終わりごろだった。夜中に、喉が渇いて目を覚ました私は、台所へ水を飲みにいこうと、暗い廊下を歩いていた。そのとき、裏の戸のほうから、私の名前を呼ぶ声がした。誰かが、私を、呼んでいる。子どもの私は、なんの疑いもなく、その戸へ向かおうとした。返事をしようと、口を、開きかけた。
その瞬間、背後から、祖母の手が、私の口を、強く塞いだ。
振り向くと、祖母が、いつのまにか、すぐ後ろに立っていた。暗闇の中で、その目だけが、らんと光っていた。祖母は、何も言わなかった。ただ、首を、ゆっくりと、横に振った。声を、出すな、というように。私たちは、廊下に立ったまま、息を殺して、じっとしていた。戸の向こうの声は、二度、私の名を呼んで、それきり、やんだ。
祖母が、ようやく、手を離した。そして、初めて見るような、こわばった顔で、こう囁いた。
「今のは、二度で、やんだ。だから、よかった。三度目が来とったら……お前は、もう、応えるしか、なかった」
その夜のことは、長いあいだ、忘れていた。大人になってからは、思い出すことも、なくなっていた。あんなものは、子どもの見た、夢のようなものだと。
夜の十時を過ぎたころ、私は奥の座敷に、布団を敷いた。
布団を運ぶとき、ふと、裏口のほうへ、目が向いた。その三和土の隅に、小さな白い山が、ふたつ、置かれていた。盛り塩だった。葬式のときに、誰かが供えたのだろうか。いや、ちがう。塩は、もう湿気を吸って、黄ばみ、固まっていた。ずっと前から、そこに置かれていたものだ。祖母が、生前、絶やさずに、置きつづけていたのにちがいなかった。何のために、と思いかけて、私は、その考えに、蓋をした。深く、考えたくなかった。
家の中は、しんと静まり返っていた。聞こえるのは、廊下に置かれた古い柱時計の、振り子の音だけ。カチ、コチ、カチ、コチ。その規則正しい音だけが、暗がりの中に、いつまでも続いていた。
枕元の電球の紐を引くと、闇が、いっぺんに部屋を満たした。山の夜は、街の夜とはちがう。窓の外に街灯ひとつなく、月もない晩には、目を開けていても、閉じていても、同じ黒さだった。自分の手すら、見えない。そんな暗さの中に、私は横たわっていた。
目を閉じると、子どものころの記憶が、ぼんやりとよみがえってきた。この座敷で、祖母と並んで眠った夏の夜。蚊帳の匂い。遠くで鳴く、ふくろうの声。あのころは、暗闇が、こんなに怖いものだとは思わなかった。祖母が、すぐ隣にいたからだ。
どれくらい、眠っただろうか。
ふと、目が覚めた。
何かの音がした、気がした。耳をすます。柱時計の、振り子の音。それから……家の裏手のほうから、かすかに、風の音。
気のせいだ。そう思って、寝返りを打とうとした、そのときだった。
「——ちゃん」
私の、名前だった。
裏の戸の、向こう側から、聞こえた。
体が、固まった。心臓が、急に、大きく鳴りはじめる。空耳だ、と自分に言い聞かせた。こんな山奥に、こんな時間に、人が訪ねてくるはずがない。風が、戸の隙間を鳴らしただけだ。きっと、そうだ。
そう思おうとした、そのとき。
「——ちゃん」
二度目。
今度は、はっきりと、私の名前だった。低く、ゆっくりと、ひと文字ずつを区切るように。それは、人の声に、よく似ていた。けれど、どこか、人の声ではなかった。喉の奥から、無理やり絞り出すような、湿った響きが、混じっていた。
私は、布団の中で、指一本、動かせなかった。そのとき、祖母の言葉が、頭の中に、はっきりとよみがえった。
——二度目までは、絶対に、返事をしてはいかん。
返事を、しなかった。息を殺し、布団の端を握りしめ、ただ、じっと、横たわっていた。次が来るのを、待った。三度呼ばれたら、返事をしなさい。祖母は、そう言った。だから、三度目が来たら、私は、答えなければならない——。
けれど、三度目は、来なかった。
裏の戸の向こうは、静かになった。あれほど聞こえていた、風の音さえも、いつのまにか、やんでいた。
長い、長い沈黙のあと、私はようやく、詰めていた息を吐いた。背中に、寝間着が、汗で冷たく張りついていた。やはり、空耳だったのだ。疲れていたのだ。そう、必死で、自分を納得させようとした。心臓の音が、少しずつ、落ち着いていく。
そのときだった。
裏の戸の、向こうではなかった。もっと、近く。
「——ちゃん」
縁側の、すぐそこ。雨戸を、たった一枚、隔てただけの、すぐ向こうから、聞こえた。
それが、三度目だった。
私は、答えなければ、ならなかった。祖母の言葉が、そうしろと、命じていた。三度呼ばれて、それでも声がやまなかったら、返事をしなさい、と。
でも、その瞬間、私は思い出していた。祖母が、ついに教えてくれなかったことを。なにに、気づかれるのか。一度応えたら、なぜ、最後まで、応えつづけなければいけないのか。あの問いに、祖母は、一度も答えなかった。
口の中が、からからに乾いていた。声を、出さなければ。出さなければ、いけない。なのに、喉が、震えて、言うことをきかない。私は、闇の中で、雨戸のほうへ、顔を向けた。
「……はい」
やっとのことで、それだけを、言った。
雨戸の向こうで、何かが、わずかに、動く気配がした。衣ずれのような。濡れた布を、地面に引きずるような。そんな、湿った音。
そして、また、呼ばれた。
「——ちゃん」
私は、答えた。「はい」と。
「——ちゃん」
「……はい」
声は、やまなかった。何度も、何度も、私の名前を、呼んだ。そのたびに、私は、答えた。やめられなかった。途中でやめたら、気づかれてしまう。祖母は、そう言ったのだから。何に気づかれるのかも、わからないまま、私は、ただ、応えつづけた。
呼ばれて、答える。呼ばれて、答える。それを、いったい、どれだけ繰り返しただろう。私の声は、だんだん、かすれていった。それでも、雨戸の向こうの声は、少しも、疲れる様子がなかった。同じ調子で、同じ間合いで、私の名前を、呼びつづけた。
途中で、何度も、やめたくなった。口を、つぐみたくなった。けれど、そのたびに、子どものころの、あの夜の祖母の顔が、浮かんだ。私の口を塞いだ、あの手の、強さが。途中でやめたら、気づかれる。気づかれたら、どうなるのか。祖母は、教えてくれなかった。教えてくれなかったということは、きっと、口にするのもはばかられるほど、恐ろしいことなのだ。そう思うと、私は、答えるのを、やめられなかった。
呼ばれる。答える。呼ばれる。答える。それは、まるで、終わりのない、点呼のようだった。
やがて、雨戸の隙間から、青白い光が、細く差しこんできた。
夜が、明けようとしていた。
その光が、畳の上に、一本の線を引いたとき、ようやく、声は、やんだ。
私は、抜け殻のように、布団の上に座っていた。喉が、ひりひりと痛んだ。声は、すっかり、かれていた。一晩じゅう、名前を呼ばれ、答えつづけた喉は、まるで、すり切れた紙のようだった。けれど、生きていた。朝が、来たのだ。終わったのだ。私は、震える手で、雨戸に手をかけ、力を込めて、横に引いた。
縁側の外には、誰も、いなかった。露に濡れた庭と、朝靄に沈む、山があるだけだった。地面には、足跡ひとつ、残っていなかった。雀が、どこかで鳴いていた。あまりにも、穏やかな朝だった。ゆうべの出来事が、嘘のように思えた。
ただ、ひとつだけ。裏口の、あの盛り塩が、ふたつとも、跡形もなく、消えていた。三和土の上に、塩の粒は、一粒も、残っていなかった。まるで、何かが、なめ取っていったかのように。
その日のうちに、私は、逃げるように、あの家を出た。形見の品も、ろくに片づけないまま。
東京の、自分の部屋に帰ってからは、何日も、あの夜のことを、考えないようにして過ごした。あれは、夢だったのだと。慣れない家で、疲れていただけなのだと。日が経つにつれて、記憶は、少しずつ、薄れていった。
けれど。
今も、ときどき、聞こえるのだ。
夜、ひとりで部屋にいると、玄関のドアの、向こうから。最初は、月に一度ほどだった。それが、半年が過ぎ、一年が過ぎるうちに、だんだんと、間隔が、短くなってきている。今では、ほとんど、毎晩のように。
「——ちゃん」
私は、答えてしまう。「はい」と。
だって、一度でも応えたなら、最後まで、応えつづけなければいけないのだから。途中でやめたら、気づかれてしまうのだから。あの夜、たった一度、三度目に応えてしまった。ただ、それだけのことで。
祖母は、教えてくれなかった。三度目に、返事をしてしまったあと、いったい、どうすればいいのかを。あの盛り塩を、絶やさずに置きつづけた祖母も、ほんとうは、毎晩、応えつづけていたのかもしれない。だから、あんなに、無口だったのかもしれない。
——いつまで、応えつづければ、いいのかを。
今夜も、もうすぐ、ドアの向こうで、声がする。私は、ペンを置いて、耳をすます。
ほら。
「——ちゃん」
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