📖 この台本について
⏱ 読了時間:約15分(4500字)
👤 登場人物:女性1名(1人用)
🎭 ジャンル:感動
🎙 用途:朗読配信・練習・ボイスサンプル
📋 ご利用規約:こちらをご確認ください
封筒は、古い木の引き出しの奥にあった。
薄い茶色の、どこにでもあるような封筒。でも宛名の文字を見た瞬間、わたしの指先が止まった。
「さくらへ」
母の字だった。あの、少し右に傾いた、やわらかい筆跡。もう二度と増えることのない、この世に残された母の痕跡のひとつ。
母が逝って、三年が経つ。
最初の一年は、泣くことすら忘れていた。葬儀の手配、相続の手続き、実家の片付け。やることが多すぎて、悲しむ暇もなかった。二年目は、ふとした瞬間に涙が出た。スーパーの野菜売り場で、母がよく作ってくれた煮物の具材が目に入ったとき。テレビで、母が好きだったドラマの再放送が流れていたとき。三年目の今は——泣くことも少なくなった。それが、寂しいような、少し後ろめたいような気がしていた。
引き出しを開けたのは、偶然だった。実家の建て替えを前に、父と一緒に荷物を整理していた。もう使わないだろうと思っていた古いタンスの、一番下の引き出し。そこに、その封筒はあった。
わたしはしばらく、封筒を手に持ったまま立っていた。開けていいのか、わからなかった。いや、正確には——開けるのが、怖かった。
母の言葉が、また届く。もう会えないのに、また声が聞こえてくる。それが、嬉しくて、そして怖かった。
父を呼ぼうかとも思った。でも、宛名は「さくらへ」。わたしの名前だけが、そこにあった。
居間に移り、ソファに座って、封筒をそっと開けた。中には、便箋が三枚。母の字で、びっしりと埋まっていた。
日付は、母が入院して二度目の手術を受けた直後の日付だった。あのころ、もう長くないと医師から告げられていたことを、わたしは後から知った。母は、わたしたちには何も言わなかった。ただ、「大丈夫、大丈夫」と笑っていた。
手紙を、読み始めた。
「さくらへ。これを読んでいるということは、もうお母さんはいないんだね。驚かせてごめんね。でも、どうしても伝えておきたいことがあって、書くことにしました」
文字を目で追いながら、胸の奥で何かがほどけていくのがわかった。
「さくらが生まれた日のことを、今でもはっきり覚えています。朝の五時二十分。病院の窓から、ちょうど夜明けの空が見えたの。ピンクと紫が混ざったような、きれいな空。あの色を見た瞬間、この子に『さくら』という名前をつけようと思った。お父さんには後から相談したけど、心の中では、もうそのとき決めていました」
わたしは知らなかった。名前の由来を聞いたことは何度もあったけど、母はいつも「春生まれだからよ」とだけ言っていた。夜明けの空のことは、一度も話してくれなかった。
「小さいころのさくらは、本当によく泣く子でした。転んでも泣く、おなかが空いても泣く、眠くても泣く。でも、わたしはそのたびに思っていたの。この子は、自分の気持ちをちゃんと外に出せる子だって。それって、とても大事なことだから」
泣き虫だったことは、自分でも覚えている。小学校に上がってから、クラスの男の子に「泣き虫さくらちゃん」とからかわれて、それからは泣くのを我慢するようになった。泣くのは恥ずかしいことだと、ずっと思っていた。
でも母は、そう思っていなかったんだ。
「中学生になったさくらは、急に口数が少なくなりました。反抗期ってやつですね。ご飯を作っても『別にいい』って言われたり、出かけようと誘っても『友達と行く』って断られたり。正直、寂しかったです。でも同時に、ちゃんと自分の世界を広げているんだなって、誇らしくもありました。親って、勝手ですね」
読みながら、あのころの自分が浮かんだ。母のことが鬱陶しくて、なのに母のご飯だけが食べたくて、でもそれを素直に言えなくて。ある夜、母が作った肉じゃがを一口食べて、「おいしい」って言いそうになって、でも言えなくて、黙って全部食べた。あのときの母の顔を、今でも覚えている。何も言わずに、ただ少し嬉しそうに笑っていた。
「高校の文化祭で、さくらが朗読をするって聞いたとき、わたしは内緒でビデオカメラを借りてきました。お父さんには仕事があって来られなかったから、ふたりで後で見ようと思って。あの日、舞台に立ったさくらの顔を見たとき——お母さん、泣いてしまいました。泣き虫なのは、さくらだけじゃなかったみたいです」
高校の文化祭。国語の先生に薦められて、気が乗らないまま参加した朗読の発表会。練習のとき、うまく感情が乗せられなくて、何度もやり直した。本番の前日も眠れなくて、当日は足が震えていた。
あのビデオ、今も実家のどこかにあるのだろうか。荷物の整理を続けていたら、見つかるかもしれない。今夜、父に聞いてみようと思った。
「大学を選ぶとき、さくらは迷っていたね。東京の大学か、地元の大学か。わたしは、さくらが決めたことならどちらでも応援すると言ったけれど——本当は、少し寂しかった。東京に行くって決めたと聞いたとき、笑顔で『よかった』って言ったけど、その夜、少し泣きました。ごめんね、こんなことを今更言って」
胸が、痛かった。
わたしは東京に出て、そのまま就職して、忙しさを言い訳にして、帰省の回数が減った。年に二回が一回になり、それが隔年になりかけたころ、母の入院の知らせが届いた。
もっと早く帰ればよかった。もっと電話すればよかった。その後悔は、三年経った今も消えていない。
「でもね、さくら。お母さんはね、後悔していないんです。あなたが選んだ道を、一度も間違いだと思ったことはない。遠くにいても、元気でいてくれるだけで、それだけで十分でした。親って、本当に勝手ですね。行かないでほしくて、でも幸せでいてほしい。相反することを、同時に願っている」
便箋の二枚目に移ったころ、気づいたら頬が濡れていた。
三年ぶりに、わたしは声を上げて泣いていた。
「さくらが結婚すると聞いたとき、わたしが一番最初に思ったことを教えましょうか。『もう少し、一緒にいたかったな』でした。おかしいでしょう。嬉しいはずなのに。でも本当に、そう思ってしまったの。次の瞬間には、もちろん心から喜んだけれど。あの子を選んでくれた人に、ありがとうって思った」
夫のことを、母は気に入っていた。几帳面で、少し不器用で、でも誠実な人だと言っていた。お正月に実家に連れていったとき、母と夫がふたりで台所に立って、なぜか餃子を一緒に作っていた。あの光景が、なんだかおかしくて、嬉しくて。
夫は今夜、出張で不在だった。帰ってきたら、この手紙のことを話そうと思った。きっと夫は、黙って最後まで聞いてくれるだろう。それから少し間を置いて、「いいお母さんだったんだね」と言うだろう。夫の言葉はいつも、飾らなくてシンプルで、だからこそ深いところに届く。
「最後に、ひとつだけお願いがあります。笑わないで聞いてね。お母さんの声を、覚えていてほしいんです。どんな声だったか、どんなふうに笑ったか、怒ったときどんな顔をしたか。忘れないでいてほしい。人って、時間が経つと忘れてしまうから。忘れることは悪いことじゃないけれど、でも——お母さんのことは、少しでいいから、覚えていてほしい」
わたしは手紙を胸に押し当てた。
覚えている。覚えている、お母さん。
朝ごはんのとき、鼻歌を歌いながら味噌汁をよそっていた声。わたしが落ち込んでいるとき、何も言わずに隣に座って、ただ背中をさすってくれた手のぬくもり。怒るとき、名前をフルネームで呼ぶ癖。「三浦さくら!」って言われるたびに、おかしくて笑ってしまっていた。
覚えている。全部、覚えている。
誕生日に必ず届いた絵葉書のこと。どこで買っているのか不思議なほど、いつも季節の花が描かれた葉書で、裏にはたった三行だけ、言葉が書いてあった。「元気ですか。お母さんは元気です。あなたのことを思っています」。シンプルで、飾り気がなくて、でも毎年その三行を読むたびに、わたしは必ず泣いた。
去年の誕生日は、葉書が来なかった。
当たり前だと、わかっていた。わかっていたけれど、郵便受けを開けるたびにどこかで期待していた自分に、気づいていた。
「長い手紙になってしまいました。最後まで読んでくれてありがとう。さくら、あなたのことが大好きでした。大好きで、誇りで、わたしの宝物でした。どうか元気でいてください。泣きたいときは泣いて、笑いたいときは笑って、あなたらしく生きていってください。お母さんは、どこかで、ずっと見ていますから。——お母さんより」
便箋を折りたたんで、封筒に戻した。
外は、いつの間にか暗くなっていた。父が夕飯を呼びに来るかもしれない。でも、もう少しだけ、このままでいたかった。
台所から、包丁の音がした。父が夕飯の支度を始めたのだろう。父はあまり料理が得意ではないけれど、母が逝ってからは毎日自分で作っている。最初はひどかったと笑っていたが、最近は「だいぶ上手くなった」と少し誇らしげに言っていた。母が台所に立つ姿を、ずっと横で見ていたからかもしれない。
愛されていたのは、わたしだけじゃなかった。この家全体が、母に愛されていた。
母の声が、聞こえる気がした。
あの、少しかすれた、やわらかい声。鼻歌の声。笑う声。「さくら」と呼ぶ声。
消えていない。ちゃんと、ここにある。
わたしは封筒をそっと、自分のかばんにしまった。実家には置いていかない。これは、持って帰る。夫に読んでもらう。そしていつか——まだ見ぬ、誰かに。
声は、消えない。
愛された記憶は、消えない。
それだけが、この夜に確かなことだった。


コメント