📖 この台本について
⏱ 読了時間:約15分(約4,500字)
👤 登場人物:女性1名(1人用)
🎭 ジャンル:ホラー/怪談
🎙 用途:朗読配信・練習・ボイスサンプル
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作品について
一人暮らしの部屋に置かれた、古い固定電話。ある夜、留守番電話のランプが点滅していることに語り手は気づきます。再生ボタンを押すたびに増えていく不在着信——それはもう何年も前に解約したはずの、実家からの伝言でした。誰もいないはずの家から、なぜ声が届くのか。日常のすぐ隣に口を開ける、静かな怪異を描いた一篇です。
この作品の読みどころは、「機械が運んでくる声」という距離感が生む不気味さにあります。目の前に何かがいるわけではない。けれど、確かに声だけが届いてしまう。聴き手は語り手と同じく、留守電の声に耳を澄ませながら、少しずつ後ずさりするような感覚を味わうことになります。
朗読する際は、語り手の地の文を落ち着いた低めのトーンで保ちつつ、留守電から流れる声の部分でわずかに質感を変えるのが効果的です。声を張るのではなく、むしろ抑えて囁くように処理することで、聴き手の想像力を引き出せます。
① 語りのトーン 全編を通じて、すでに体験を終えた語り手が静かに振り返るスタンスで読んでください。「ランプが、点滅していた」のような描写は、感情を込めすぎず淡々と置くように。日常を語る低めの落ち着いた声が、後半の異常さを際立たせます。 ② 緩急のつけ方 留守電を再生する場面、「再生します。一件目」という機械音声の部分では、わずかに間を取り、声の温度を一段下げてください。逆に「もう、解約したはずなのに」という語り手のつぶやきは、息を漏らすように小さく囁くと効果的です。 ③ 感情表現のコツ クライマックス、伝言の声が語り手の名前を呼ぶ場面では、声を荒げないこと。むしろ動きを止め、ほとんど無感情に近いトーンで処理すると、聴き手の背筋に冷たいものが走ります。恐怖は「驚き」ではなく「気づき」で表現します。 ④ ラストの処理 最後の一文は、すべてを語り終えた後の沈黙を意識してください。読み切ったあと、一拍置いてから音を切ると、余韻が長く残ります。説明しすぎず、聴き手に委ねる終わり方を大切に。▶ 朗読のポイントを見る(朗読される方向け・クリックで展開)
台本本文
その電話機は、もう何年も鳴っていなかった。
一人暮らしを始めたとき、母が持たせてくれた古い固定電話。受話器の重い、灰色の機種だ。携帯があれば困らないのに、母は「何かあったときのために」と言って譲らなかった。だから私は、それを部屋の隅の小さな棚に置いたまま、ほとんど使わずにいた。
回線も、二年前に解約した。電話線はもう、どこにもつながっていない。コンセントに挿しているのは、ただ時計表示が便利だったから、それだけの理由だった。
その夜、残業で遅くなって帰ってきた私は、暗い部屋の隅で、赤いランプが点滅していることに気づいた。
留守番電話の、着信ランプだった。
おかしい、と思った。回線は切れているはずだ。誰かが電話をかけてくることなんて、あるわけがない。私は鞄を置くのも忘れて、その点滅をしばらく見つめていた。
三回。点滅は、三件の伝言があることを示していた。
気のせいだろう、と思った。電池が古くなって、誤作動しているのかもしれない。私はコートも脱がずに、再生ボタンを押した。
「再生します。一件目」
機械の、抑揚のない声が流れた。それから、少しの沈黙。さらさらという、砂のようなノイズ。
「……もしもし」
母の声だった。
私は、息を止めた。間違いない。母の、少し高くて、語尾が柔らかい話し方。何年も聞いていなかったのに、すぐにわかった。
「あんた、ちゃんとごはん食べてる?」
たったそれだけの伝言で、ぷつりと切れた。
私は、その場に立ち尽くしていた。心臓が、嫌な速さで打っていた。
母は、三年前に亡くなっている。
葬式も出した。遺品も整理した。この電話機だって、その遺品の一つだ。だから、母が今、伝言を残せるはずがない。
古い録音が、何かの拍子に再生されただけ。そう思おうとした。昔、母が残してくれた伝言が、機械の中にまだ残っていて、それがたまたま流れただけ。きっとそうだ。
でも、ランプはまだ点滅していた。二件、残っている。
聞かなければいい。電源を抜いてしまえばいい。頭ではそう考えているのに、私の指は、もう一度、再生ボタンを押していた。
「再生します。二件目」
また、砂のようなノイズ。それから、母の声。
「寒くなってきたから、風邪ひかないようにね」
少し、間があった。
「……あの部屋、まだ暗いの?」
私は、部屋を見回した。帰ってきたばかりで、まだ電気をつけていなかった。玄関の明かりだけが、廊下を細く照らしている。部屋の中は、暗かった。
母には、見えているのだろうか。
そんなはずはない、と打ち消した。これは古い録音だ。たまたま、今の状況と合っただけ。偶然だ。
でも、母は生前、私のこの部屋に一度も来たことがない。引っ越したのは、母が亡くなったあとだ。母は、この部屋を知らないはずだった。
三件目のランプが、点滅を続けていた。
私は、受話器に手を伸ばしかけて、止めた。聞きたくなかった。でも、聞かなければ、この点滅は終わらない気がした。
指が、勝手に動いた。
「再生します。三件目」
今度は、ノイズが長かった。さらさら、ざらざらと、砂が崩れるような音が、いつまでも続いた。私は受話器を耳に押し当てたまま、その音を聞いていた。
そして、声がした。
「もしもし」
母の声。でも、さっきまでとは、少し違った。近かった。すぐ耳元で囁かれているように、近かった。
「いま、そっちに行くから」
背筋が、凍りついた。
「ドアの前にいるの。開けてくれる?」
その瞬間、玄関のチャイムが鳴った。
ピンポン、と。間の抜けた、いつもの音で。
私は、動けなかった。受話器を握ったまま、玄関のほうを見ていた。すりガラスの向こう、廊下の明かりに、人影が立っていた。小柄な、女の人の影だった。
留守電の声が、続いていた。
「早く開けて。寒いのよ」
影が、ゆっくりと、ドアに手をかけるのが見えた。鍵は、かけたはずだった。帰ってきたとき、確かにかけた。
かちゃり、と音がした。
鍵が、回る音。
内側からしか、開けられないはずの鍵だった。
私は受話器を放り出して、部屋の奥に後ずさった。ドアノブが、回っていく。ゆっくりと、ゆっくりと。
そして、止まった。
すべてが、静かになった。チャイムも、留守電の声も、鍵の音も。影も、いつのまにか消えていた。すりガラスの向こうには、ただ廊下の明かりが、ぼんやりと灯っているだけだった。
私は、しばらく動けなかった。やがて、おそるおそる受話器を拾い上げて、戻した。ランプは、もう点滅していなかった。三件、すべて聞き終えていた。
夢でも見たのだろう。疲れているのだ。そう自分に言い聞かせて、私は電気をつけた。明るくなった部屋は、いつもと何も変わらなかった。
けれど、その日から、私は家に帰るのが怖くなった。
玄関の鍵を開けるたびに、思ってしまうのだ。もし、内側にもう一つ、鍵があったら。もし、私が留守のあいだに、誰かがそれをかけてしまっていたら。
結局、私はその電話機を捨てた。粗大ごみに出して、すっきりするはずだった。
でも、新しい部屋に引っ越した今も、ときどき、夜中に目が覚める。
どこかで、点滅している気がして。
赤いランプが、暗闇の中で、三回。
──ちゃんと、ごはん食べてる?
耳の奥で、まだ、あの声がしている。
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