📖 この台本について
⏱ 読了時間:約10分(約3,000字)
👤 登場人物:男性1名(1人用)
🎭 ジャンル:ホラー/怪談
🎙 用途:朗読配信・練習・ボイスサンプル
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作品について
残業帰りの男が、いつもより一本遅いバスに乗り込むところから物語は始まります。車内は妙にがらんとしていて、運転手の顔がよく見えない。窓の外を流れる景色は見慣れているはずなのに、どこか順序が違う——日常の中にひっそりと紛れ込んだ「乗ってはいけないバス」を描いた怪談です。
派手な仕掛けに頼らず、「降りるべき停留所が、いつまでも来ない」という静かな違和感だけで構成された一篇。語り手が状況を理屈で説明しようとすればするほど、辻褄が合わなくなっていく恐怖が特徴で、聴き手は男と一緒に少しずつ現実から外れていきます。
朗読する際は、序盤は疲れた会社員の独白のように軽く、中盤からは違和感に気づいた者の警戒した低音へ、ラストは諦めにも似た静けさへ——三段階のトーン変化を意識すると効果的です。叫び声を一切使わない怪談として、抑制された語りが活きます。
▶ 朗読のポイントを見る(朗読される方向け・クリックで展開)
① 語りのトーン
全体を通して低めの声を基調にしてください。冒頭の「終電を逃した、と気づいたのは改札を抜けてからだった」のような疲労感のある描写は、ため息混じりの軽い独白で。怖がらせようとせず、サラリーマンの愚痴のような調子で入ることで、後半の異常さが際立ちます。
② 緩急のつけ方
「次は、終点」というアナウンスが繰り返される場面は、一回ごとに間を少しずつ長く取ってください。逆に男が頭の中で計算する独白部分はやや早口に。「同じ停留所を、もう三度通り過ぎた」という気づきの一文は、直前で完全に止まってから、低く言い切ります。
③ 感情表現のコツ
運転手に話しかける場面では、声を張らず、むしろ小さくしてください。恐怖は「大声を出せない状況」から生まれます。クライマックスで他の乗客の存在に気づく瞬間は、息を吸う音をマイクに少しだけ拾わせ、語尾を震わせずに飲み込むように処理します。
④ ラストの処理
最後の一文は、感情を抜いて、報告するように淡々と読んでください。読み終えた後、4〜5秒の沈黙を意識的に作ると、聴き手の中で「この話、どこで終わったんだろう」という不安が膨らみます。余韻ではなく、宙づりで終える感覚です。
台本本文
終電を逃した、と気づいたのは改札を抜けてからだった。
金曜の夜、残業が長引いた。駅前のロータリーに出ると、もうタクシーの行列はとっくに途切れていて、ぽつんと一台の路線バスだけが、エンジンを低くうならせて停まっていた。
表示板には、見慣れない番号が出ていた。普段使っている路線とは違う。けれど、行き先は確かに俺の住む団地の方向だった。
「終バスです。お乗りになりますか」
運転席から、低い声が聞こえた。顔はよく見えなかった。制帽のつばが深くて、口元しか確認できない。とにかく歩いて帰るのは無理だ。俺は曖昧に頷いて、整理券を取って一番後ろの席に座った。
車内には、俺ともう一人しかいなかった。
前から三列目に、コートを着た中年の男が座っていた。背筋をまっすぐ伸ばして、両手を膝の上に置いている。一度もこちらを振り返らない。
バスは静かに走り出した。
窓の外を、見慣れた景色が流れていく。コンビニ、ガソリンスタンド、いつもの中華料理屋。問題ない。ちゃんと家の方向に向かっている。俺はスマホを開いて、SNSを眺め始めた。
どれくらい経った頃だろうか。ふと顔を上げると、窓の外に、さっきと同じコンビニが流れていた。
気のせいだろう、と思った。同じチェーンの店舗は、この辺りにいくつもある。
そのすぐあとに、同じガソリンスタンドが見えた。同じ中華料理屋が見えた。同じコンビニが、もう一度流れた。
俺はスマホをポケットにしまって、窓に額を寄せた。
「次は、終点」
車内アナウンスが、抑揚なく流れた。終点という言葉に、停留所名はなかった。ただ「終点」とだけ。
けれど、バスは停まらなかった。
同じコンビニが、また流れた。
「次は、終点」
同じアナウンスが、繰り返された。
俺は、前の席の男を見た。男は微動だにしていない。眠っているのかもしれない。けれど、背筋はあまりに真っ直ぐで、首も傾いていない。
降車ボタンを押そうとして、手を伸ばした。指がボタンに触れる直前、運転席の方から声がした。
「次の停留所はありません」
俺は手を止めた。
「次の停留所は、ありません」
同じ言葉が、もう一度、ゆっくり繰り返された。運転手は、こちらを振り返らない。制帽のつばの下で、口元だけが動いていた。
「あの」と、俺は声を出した。思ったよりも小さい声だった。「降ろしてください」
返事はなかった。
バスは速度を変えず、ただまっすぐ進んでいた。窓の外には、もう景色がなかった。コンビニも、ガソリンスタンドも、街灯さえも。ただ、黒い窓ガラスに、車内の蛍光灯がぼんやり映り込んでいるだけだった。
そのとき、気がついた。
映り込んだ車内に、乗客が三人いた。
俺と、前の男と——もう一人。男のすぐ隣の席に、座っていた。さっきまで誰もいなかったはずの席に。
振り返るのが怖くて、俺は窓の中の影をじっと見つめた。三人目は、こちらをまっすぐ見ていた。輪郭しかわからない。けれど、視線だけが、はっきりとこちらに向いていた。
「次は、終点」
アナウンスが、また流れた。
今度は、停まる気配があった。
バスがゆっくり減速していく。けれど、窓の外には、何も見えない。停留所のポールも、街の明かりも、人影も。ただ、黒い闇だけがあった。
「終点です。ご乗車、ありがとうございました」
運転手の声が、静かに告げた。
前の男が、ゆっくりと立ち上がった。隣の三人目も、同じタイミングで立ち上がった。二人は、振り返らずに、前のドアから降りていった。降りていく姿は、闇の中にすっと吸い込まれて、見えなくなった。
ドアが閉まった。
俺だけが、車内に残された。
「降りないのですか」
運転手が、初めて、こちらを振り返った。
制帽のつばの下に、目はなかった。口元だけが、静かに動いていた。
「次の停留所は、ありません」
バスは、また走り出した。
俺は、家に帰る方法を、まだ考えている。
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