📖 この台本について
⏱ 読了時間:約15分(4500字)
👤 登場人物:男性1名(1人用)
🎭 ジャンル:日常・ほっこり
🎙 用途:朗読配信・練習・ボイスサンプル
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作品について
この作品は、商店街の片隅で小さなパン屋を営む四十代の男性が、ある日曜日の早朝から店じまいまでを淡々と語る日常台本です。粉をふるい、生地をこね、オーブンの前に立つ。そして、訪れる常連客たちとのささやかな会話。物語らしい起伏はほとんどなく、ただ「日曜日のパン屋」の一日が、湯気の立つ朝のように静かに流れていきます。
この作品の読みどころは、「手を動かすこと」と「人と関わること」が同じ温度で並んでいる構成にあります。生地を発酵させる時間、客との短い会話、見送ったあとの静けさ。それらが等しく大事なものとして描かれており、聴き終えたあとに「自分も明日、何かを丁寧にやってみよう」と思える余韻が残ります。
朗読する際は、低めで柔らかい、少し息を含んだ男性の声を想定しています。職人の独白でありながら、語りかけの温度を失わないこと。声を張る場面はなく、終始、湯気のような穏やかさを保ったまま読み進めるのが理想です。
▶ 朗読のポイントを見る(朗読される方向け・クリックで展開)
① 語りのトーン
主人公は四十代の職人。声はやや低めで、息を含んだ柔らかい響きを意識してください。冒頭の「日曜日の朝五時、まだ街が眠っている時間に、わたしは店の灯りをつける」という一文は、ささやくほどではなく、ただ静かに、自分の所作を確かめるようなトーンで読むと作品全体の空気が決まります。
② 緩急のつけ方
生地をこねる場面や、オーブンの前で待つ場面は、ゆっくりと、行間にわずかな間を置いてください。一方、常連客との会話部分——「いつものでいいですか」「うん、それと、今日はあんパンも」のやり取りは、テンポをほんの少し上げ、笑みを含ませるように。会話の前後で空気が変わると、聴き手の頭の中に店の風景が立ち上がります。
③ 感情表現のコツ
感情を「演じる」必要はありません。むしろ、職人が手元を見つめているような、半分上の空のような語りでちょうどよいです。常連のおばあさんが孫の話をする場面だけは、声にほんの少しだけ温度を乗せると、後半の余韻が深くなります。
④ ラストの処理
ラストの「また、来週の日曜日に」という一文は、聴き手に向けた挨拶のように、少しだけ顔を上げる気持ちで読んでください。読み終えたあと三秒は息を止め、フェードアウトするように静かに締めると、聴き手の中にパン屋の灯りがしばらく残ります。
台本本文
日曜日の朝五時、まだ街が眠っている時間に、わたしは店の灯りをつける。
商店街の一番奥、薬局と古い文房具屋に挟まれた小さなパン屋。看板も、わたしの祖父の代から変わっていない。「やまもとベーカリー」。ひらがな七文字。シャッターを上げる音だけが、しんとした通りに響く。
厨房に入って、まずやることは決まっている。手を洗う。エプロンを締める。オーブンの電源を入れる。それから、粉をふるう。
強力粉を、大きなボウルに、ざあっと注ぐ。指で軽くかき混ぜると、粉の中に冷たい朝の空気が混ざる。冬は粉が重く感じるし、夏は軽く感じる。同じ粉なのに、季節で違う顔をする。父がよく言っていた。「粉は生きとるんやで」。わたしは関西の人間ではないが、父の口調がそのまま頭に残っている。
水と塩と砂糖、それからイースト。順番に入れて、こねていく。最初は手にべったりとくっつくこの生地が、十分も練ると、しっとりと手から離れていく。その瞬間が、いつも、いい。なんというか、生地と握手をしているような感じがする。
こね上がった生地を、大きなボウルに入れて、布をかける。あとは、発酵を待つ時間。
この時間が、わたしは好きだ。
厨房の小さな丸椅子に座って、湯を沸かして、コーヒーを淹れる。インスタントのほうのコーヒーだ。豆を挽くやつもあるけれど、朝のいちばん最初の一杯は、なぜかインスタントのほうが落ち着く。湯気の立つマグカップを両手で包んで、しばらく、何も考えない。
窓の外がだんだん明るくなってくる。空の色が、紺から、灰色に、それから、少しずつ青に変わっていく。鳥の声が聞こえはじめる。新聞配達のバイクの音が、遠くで止まる。
世界が起きていく音を、わたしは、誰よりも先に聞いている。
そんなふうに思うときがある。べつに、自慢でもなんでもなく、ただ、そういう仕事だな、と思う。
発酵が終わると、生地はふっくらと膨らんでいる。布をめくると、温かい、生きものの匂いがする。これを、分割して、丸めて、また休ませて、それから成形していく。今日は、食パンが八斤、丸パンが三十個、それから、あんパンとクリームパン、カレーパン、それぞれ二十個ずつ。あとは、季節限定のさつまいもパン。
成形をしているあいだに、また少し時間が経つ。窓の外は、もうすっかり明るい。
七時半、最初のお客さんが来る。
「おはようございます」
サンダルをつっかけた近所の田中さん。新聞をたたんで小脇に抱えて、店に入ってくる。たぶん七十は超えている。
「あんパン、まだやってないでしょ」
「あと十分ほど、お待たせします」
「待つよ。ここのあんパン、ほかじゃ買えんからね」
田中さんはそう言って、店の前のベンチに腰かけた。新聞を広げて、ゆっくり読みはじめる。わたしは厨房に戻って、ちょうど焼き上がる食パンを、オーブンから取り出した。湯気が、ぶわっと立つ。この瞬間の香りが、店の中に広がる。
あんパンが焼き上がると、田中さんに二つ、紙袋に入れて渡した。
「あいかわらず、いい焼き色やね」
「ありがとうございます」
「奥さんに、よろしく」
そう言って、田中さんは帰っていった。わたしの妻は、五年前に亡くなっている。田中さんもそれは知っているのに、毎週、同じ挨拶をしてくれる。なぜなのか、聞いたことはない。でも、それでいいような気がしている。
九時になると、店は少しずつ賑やかになってくる。
近所の家族連れ、犬の散歩の途中の若い夫婦、自転車で立ち寄る学生。みんな、わたしのことを「やまもとさん」と呼ぶ。下の名前を呼ばれることは、もうほとんどない。
「やまもとさん、今日はカレーパンある?」
「ありますよ」
「やった。三つください」
レジを打って、紙袋に入れて、手渡す。簡単な動作の繰り返しだけれど、これがわたしの仕事だ。一個一個、ちゃんと手渡すこと。「ありがとうございました」と、ちゃんと顔を上げて言うこと。
お昼を少し過ぎたころ、いつものおばあさんが来る。
松井さん。八十二歳。週に一度、日曜日にだけ、ここに来る。買うのは、いつも丸パンを二つだけ。
「やまもとさん、こんにちは」
「いらっしゃいませ、松井さん」
松井さんは、丸パンを二つ、ゆっくりとトングでつかんで、トレーに置く。レジに持ってくる。お会計をして、紙袋に入れて、お渡しする。それだけの流れ。けれど、毎週、松井さんは、ほんの少しだけ、世間話をして帰る。
「今週ね、孫が来てくれたのよ」
「あら、それはよかったですね」
「東京に住んでてね、めったに来られないんだけどね、今週、お休みが取れたって」
松井さんは、丸パンの入った紙袋を、両手で大事そうに包んでいた。
「丸パンね、孫が小さいころから好きで。やまもとさんのところの丸パン。あの子、ここのパン食べて育ったようなものなのよ」
「そうでしたか」
「だから、孫が来るたびに、ここで買って帰るの。今日は、もう東京に戻ったあとなんだけどね、お土産に持って帰ってもらおうと思ってたぶんが、まだ残ってて」
松井さんは、少し笑った。
「冷凍しておくの。次に来たときに、また焼いて出すから」
「ありがとうございます」
わたしは、レジの向こうから、深く頭を下げた。松井さんは、いつもの足取りで、ゆっくりと店を出ていった。
外の光が、店の中に、長く差し込んでいた。
午後三時を回ると、店は少しずつ静かになる。残ったパンを、棚で整え直す。売り切れの札を、いくつか出す。床を軽く掃く。レジを締める準備を始める。
夕方五時、最後のお客さんが帰っていった。
シャッターを下ろす前に、わたしは少しだけ、店の外に出る。空が、薄いオレンジになっている。商店街の街灯が、ぽつ、ぽつ、と点きはじめる。
店の前のベンチに、田中さんの忘れていった新聞が、まだ置いてある。たたんで、店の中に持ち帰る。来週、渡そう。
厨房に戻って、明日の仕込みを少しだけ進める。粉の在庫を確認する。明日は月曜日で、店は休みだ。でも、生きものは、休みの日でも世話をしないといけない。生地を仕込んで、冷蔵庫で長い発酵にかける。月曜の朝、わたしはまた、この厨房に来て、生地を見にくる。
すべての仕事を終えて、エプロンを脱ぐ。手を洗う。電気を消す。
シャッターを下ろして、鍵をかける。
「お疲れさま」
誰に言うでもなく、自分に言った。
商店街を歩いて帰る。夕飯は、今日売れ残った丸パンを、家でスープと一緒に食べるつもりだ。それで十分。
明日は月曜日。月曜日は、休みだ。妻の写真の前に、丸パンをひとつ、お供えしようと思っている。妻も、丸パンが、いちばん好きだった。
家の鍵を開けて、玄関に立つ。
「ただいま」
返事はない。それでもいい。今日も、ちゃんと一日、店を開けた。ちゃんとパンを焼いた。ちゃんと、お客さんに渡した。それだけで、今日は、よかった日だ。
また、来週の日曜日に。
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