📖 この台本について
⏱ 読了時間:約10分(約3000字)
👤 登場人物:女性1名(1人用)
🎭 ジャンル:ファンタジー/異世界
🎙 用途:朗読配信・練習・ボイスサンプル
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作品について
初雪の夜にだけ、村はずれの古い井戸へ「言葉をひとつ」落とすことができる——その言葉は、もうこの世にいない誰かのもとへ届くのだという。この物語は、そんな言い伝えの残る山あいの村で、幼い弟を早くに亡くした老女が、一生に一度きりの「ことづて」を、長い迷いの果てにようやく口にする一夜を描いた、静かなファンタジーです。
派手な魔法も、劇的な事件も起こりません。この作品の核にあるのは、「届いたかどうかは、最後までわからない」という余白です。完成された別れの言葉ではなく、思わずこぼれ落ちた何気ないひとことにこそ、本当の想いが宿る——その瞬間の手ざわりを、ぜひ味わってみてください。
朗読のトーンは、終始抑えた、語りかけるような穏やかさが似合います。声を張る場面はほとんどありません。雪の静けさをまとうように、ゆっくりと、一語ずつ置いていくつもりで読むと、ラストの余韻が深く立ちのぼります。
① 語りのトーン 全体を通して、老いた女性が静かに過去を振り返る「回想の語り」です。淡々と、けれど芯のあたたかい声で。雪の積もる夜のしんとした空気を声にまとわせるイメージで、急がず、囁くように読み進めてください。 ② 緩急のつけ方 「姉ちゃん、見て。ぼくの足あと」のような弟のセリフは、ほんの少しだけ声を明るく軽く。逆に「ふっと、眠るように、息を引き取りました」では、声を落として、後ろに長めの間を置きます。語りと回想のあいだで、わずかに温度を変えるのがコツです。 ③ 感情表現のコツ クライマックスの「——おかえり」は、決して泣かせにいかないこと。本人も驚いている言葉なので、抑えた声で、ほろりとこぼすように。続く「ずっと、待ってたよ」で、ようやく感情がにじむ程度に留めると、聞き手の胸に響きます。 ④ ラストの処理 小さな足あとに気づく場面は、断定せず「気がしたのです」の含みを大切に。最後の一文は、ゆっくりと声を引いて、雪が降りやむように消え入らせてください。読み終えたあと、二、三秒の沈黙を残すと余韻が完成します。▶ 朗読のポイントを見る(朗読される方向け・クリックで展開)
台本本文
私の生まれた村には、古い言い伝えがひとつ、残っていました。初雪の降る夜にかぎって、村はずれの井戸に向かい、言葉をたったひとつだけ、落とすことができる。その言葉は、暗い井戸の底をくぐり抜け、もうこの世にいない誰かのもとへ届く——そう、ずっと昔から、信じられてきたのです。
決まりは、ひどく厳しいものでした。許されるのは、一生のうちに、ただ一度きり。誰に、何を伝えたのか、井戸は決して語りません。本当に届いたのかどうかさえ、確かめるすべはないのです。だからこそ村の人たちは、その一度を、軽々しく使おうとはしませんでした。みな、胸の奥に、伝えたい誰かを、そっとしまい込んだまま、年を重ねていきました。
私にも、その「誰か」がいました。三つ年下の、弟です。笑うと目が糸のように細くなる、やさしい子でした。雪の日がなにより好きで、朝いちばんに外へ飛び出しては、真っ白な庭じゅうに足あとをつけて回るような子で。「姉ちゃん、見て。ぼくの足あと」——そう言って振り返るあの顔を、私は今でも、はっきりと覚えています。
あれは、弟が十二の冬でした。降り積もった雪のなかに二人で寝そべって、空を見上げたことがあります。「姉ちゃん、雪って、空からの手紙なんだって」。誰かの受け売りだったのでしょう。私が「じゃあ、なんて書いてあるの」と聞くと、弟はしばらく考えて、「わかんない。でも、いいことだと思う」と笑いました。なんでもない夕暮れの、なんでもないやりとりでした。
その弟が、十六の冬に、流行り病で、あっけなく逝ってしまいました。最後の朝、高い熱にうかされながら、弟は私の手をきゅっと握って、なにかを言いかけたのです。けれど、その言葉が声になる前に、ふっと、眠るように、息を引き取りました。私は、あの子が最後に言おうとした続きを、その後ずっと、知らないままでいたのです。
井戸のことは、もちろん、知っていました。けれど私は、どうしても足を運べずにいました。たった一度きりの言葉を、いったい何にすればいいのか。「ごめんね」なのか。「会いたい」なのか。考えれば考えるほど、どの言葉も足りない気がして、こわくなるのです。使ってしまえば、もう二度と、伝え直すことはできない。その怖さの前で、私は何十年ものあいだ、ただ立ちすくんでいました。
一度だけ、井戸の前まで行ったことがあります。弟が死んで、十年ほど経った冬でした。けれど縁に手をかけた瞬間、急に足がすくんで、結局、ひとことも落とせないまま、私は来た道を引き返しました。その夜のことを、私は長いあいだ、自分の弱さとして、胸の奥にしまっていたのです。
そうして、気がつけば、髪はすっかり白くなり、背中も丸くなっていました。弟が死んだ歳の、もう四倍ほども、生きてしまった。それなのに、あの子だけは、いつまでも十六のままで、私の記憶のなかで笑っている。そのことが、私には、たまらなく不思議で、そして、少しだけ、さびしいことでした。
その年の初雪は、夜更けに、音もなく降りはじめました。窓の外がほのかに白く明るんで、私はふと目を覚ましました。ああ、降ったのだ、と思いました。そうして布団のなかで、私は、もう迷うのはやめよう、と決めたのです。今夜を逃せば、たぶん私は、次の初雪を見ることはないだろう。なぜだか、そんな予感が、静かにありました。
厚手の上着を羽織り、杖をついて、雪明かりの道を、ゆっくりと歩きました。井戸は、子どもの頃と、すこしも変わらない場所にありました。苔むした石を積んだ、低い円い井戸。そっと覗き込むと、底は見えず、ただ冷たい闇だけが、しんと、静まりかえっていました。
不思議なことに、私は、長いあいだ練り上げてきたはずの、立派な言葉を、ひとつも思い出せませんでした。何度も胸のなかでくり返した、別れの言葉も、悔やみの言葉も。いざ井戸を前にすると、それらはみな、どこか遠くへ、するりと逃げていってしまったのです。
代わりに、ひとりでに口をついて出たのは、ごく当たり前の、なんでもない、ひとことでした。
「——おかえり」
言ってから、自分でも、驚きました。どうして「さようなら」ではなく、「おかえり」だったのか。けれど、口に出してしまってから、ようやく、わかったのです。私はずっと、あの子に、帰ってきてほしかった。また雪の庭に、あの小さな足あとを、つけてほしかった。ただ、それだけのことを、何十年ものあいだ、伝えたくて、たまらなかったのだと。
「おかえり。ずっと、待ってたよ。……ずいぶん、おそかったじゃない」
井戸は、なにも答えませんでした。底からは、風の音ひとつ、聞こえてきません。届いたのかどうか、やはり、私にはわかりませんでした。それでも、胸のなかで、長いあいだ凍りついていたものが、すこしずつ、すこしずつ、溶けていくような気がしたのです。
帰り道、雪は、いっそう静かに、深く、降り積もっていました。ふと足もとに目をやると——雪のうえに残る私の足あとの、そのとなりに、もうひとつ、小さな足あとが、ちょこちょこと、続いているような気がしたのです。たぶん、気のせいでしょう。けれど私は、振り返りませんでした。
振り返らなくても、もう、こわくはなかったのです。空からの手紙は、夜が明けるまで、しんしんと、降りつづけていました。
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