雨が降り出したのは、昼過ぎのことだった。天気予報など見ずに家を出た私は、駅の改札を抜けた瞬間、軒先に広がる灰色の空を見上げて、小さく舌打ちをした。
「またやった」
傘を持ってくるのを忘れたのは、今年に入ってもう三度目だ。コンビニで買えばいい。そう分かっていても、なぜか足が動かなかった。ただ、雨粒が跳ねるアスファルトをぼんやりと眺めていた。
そのとき、ふいに思い出した。
父のことを。
私が小学生のころ、父は毎朝同じ時間に家を出た。紺色のスーツに、くたびれた革靴。背中がすこし丸くなっていて、それでも歩くときはいつも真っ直ぐ前を向いていた。
ある日、学校帰りに雨に降られた私は、傘も持たずずぶ濡れで帰ってきた。玄関を開けると、台所から父の声がした。
「おかえり。濡れたか」
なんでいるの、と聞くと、父は照れくさそうに頭をかいた。
「なんとなく、今日は雨が降りそうだと思ってな」
そんなことが、何度あっただろう。運動会の前日に靴を磨いてくれたこと。受験の朝、何も言わずそっと温かい缶コーヒーを差し出してくれたこと。私が泣いていても、ただ隣に座っていてくれたこと。
父は多くを語らない人だった。「愛してる」なんて言葉は、生涯一度も聞いたことがない。でも、その手はいつも、私が必要なときに差し伸べられていた。
私が東京に出てきたのは、二十二歳の春だった。就職が決まって、はじめて一人暮らしをはじめたあの日、父は駅まで車で送ってくれた。新幹線のホームで、ぎこちなく手を振る父の姿を、私は窓越しにずっと見ていた。
それから四年が経った。
父が倒れたという知らせを受けたのは、ちょうど一年前の、やはり雨の日だった。
脳梗塞。右半身に麻痺が残る可能性がある、と医師に告げられたとき、母は泣き崩れた。私は泣けなかった。ただ、冷たい廊下の椅子に座って、父の名前を何度も心の中で繰り返していた。
父は回復した。完全ではないけれど、杖をつきながら歩けるようになった。言葉も少しずつ戻ってきた。リハビリのたびに黙々と手を動かす父の横顔を見て、私はようやく泣いた。病院の駐車場で、誰にも見えないように、声を殺して。
退院して数週間後、父から手紙が届いた。
父が手紙を書くのを、私は見たことがなかった。右手が不自由になってから、リハビリの一環として文字を書く練習をしていたと、あとから母に聞いた。
封筒を開けると、不揃いで、でも丁寧な文字が並んでいた。
「雪子へ」
私の名前が書いてあるだけで、もう喉が詰まった。
手紙にはこう書いてあった。
「病院のベッドで、いろんなことを考えた。お前のことを、ちゃんと言葉にしておけばよかったと思った。父さんは不器用だから、ずっとうまく言えなかった。でも、お前が生まれた日のことを、今でも昨日のことのように覚えている。小さな手だった。こんなに小さな手が、ちゃんと父さんの指を握った。それだけで、父さんはもう、生きていける気がした。これからも元気でいろ。雨の日は傘を持って行け」
最後の一行を読んで、私は声を上げて泣いた。
父らしかった。最後まで、父らしかった。
雨の音が続いている。
私はコンビニで傘を買う代わりに、鞄の底を探った。いつから入れていたのかも忘れていた折りたたみ傘が、手に触れた。
「ありがとう、お父さん」
声に出したのは、誰もいない軒先だった。
でも確かに、雨音の向こうから、あの不器用な背中が振り返った気がした。


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