📖 この台本について
⏱ 読了時間:約10分(約2,660字)
👤 登場人物:男性1名(1人用)
🎭 ジャンル:ホラー・怪談
🎙 用途:朗読配信・練習・ボイスサンプル
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作品について
古書店でアルバイトをする青年のもとに、身に覚えのない一冊のノートが紛れ込む。捨てても隠しても翌朝には同じ場所に戻り、そこには彼自身の記憶が、几帳面な文字で少しずつ書き足されていく。誰が、何のために書いているのかは最後まで明かされない。
本作の読みどころは、恐怖が大きな出来事としてではなく、「日常に紛れ込んだ小さな違和感の積み重ね」として描かれる点にある。ノートの記述が「知らないはずのことを知っている」段階から「返事を求める」段階へと移っていく変化を、静かに追ってほしい。
朗読の際は、大きな抑揚をつけるより、淡々とした語り口を保ったまま、内側の動揺だけをわずかににじませるトーンが合う作品です。
▶ 朗読のポイントを見る(朗読される方向け・クリックで展開)
① 語りのトーン
全体を通して、感情を大きく揺らさず、淡々とした一人称の語りを保ってください。恐怖よりも「困惑」と「拭えない違和感」が主体の作品です。声を張らず、抑えたトーンを最後まで崩さないことが効果的です。
② 緩急のつけ方
「小学校の帰り道、忘れたリコーダーを、僕の代わりに届けてくれましたね。覚えていますか」の一文では、一拍間を置いてから読み始めると、ノートの異様さがより際立ちます。会話部分は地の文よりわずかに声のトーンを落とすと、書かれた文字を読み上げている感覚が伝わります。
③ 感情表現のコツ
「そろそろ、返事をくれてもいい頃です」の場面では、驚きよりも静かな緊張を意識してください。声量を上げるのではなく、言葉と言葉の間隔をわずかに空けることで、読み手の内側の動揺を表現できます。
④ ラストの処理
ラストの「拝啓、悠人様」は、物語の冒頭と同じ言葉が繰り返される重要な一文です。感情を込めすぎず、淡々と、しかしわずかに声を落として読み終えると、余韻が長く残ります。
台本本文
古書店でアルバイトを始めて、半年になる。
店主は無口な老人で、仕入れの経路をあまり語らない人だった。市場に出せない本や、値がつかなかった本を積んでおく「返品コーナー」と呼ばれる一角が、棚の奥にある。そこに、いつからか一冊のノートが紛れ込むようになった。
古い革の表紙で、角がすり減っている。開くと、几帳面な文字で日記のようなものが綴られていた。一ページ目には、こう書かれていた。「拝啓、悠人様」―僕の名前だった。
店主に聞いても、覚えがないという。誰かの忘れ物だろう、そう言って店主は棚の隅にノートを戻した。僕はそれ以上気にしないことにした。仕事は他にいくらでもあったし、古書店には妙な私物が紛れ込むことも珍しくない。
けれど、次の日も、そのまた次の日も、ノートは同じ場所にあった。奥の棚に移しても、段ボールに詰めて倉庫に運んでも、朝になると必ず返品コーナーに戻っている。試しに休憩室のロッカーに隠してみたこともあったが、結果は同じだった。そして、ページは少しずつ増えていた。
「今日は雨でしたね」「昨日は早番でしたか」―内容は他愛のない、まるで僕の一日をどこかで見ていたかのような一文だった。字は几帳面で、丸みを帯びていて、誰の筆跡にも似ていなかった。同僚の田辺さんに見せても、「ただの日記でしょう」と笑うだけで、それ以上気にする様子はなかった。
僕は次第に、そのノートを開くのが怖くなった。それでも棚の前を通るたび、目が勝手にそちらへ向いてしまう。開かなければいいのに、開いてしまう自分がいた。仕事の合間、レジに立ちながらも、頭の片隅には常にあのノートのことがあった。
ある晩、閉店作業を終えて棚を片付けていると、いつもと違う一文が目に入った。
「小学校の帰り道、忘れたリコーダーを、僕の代わりに届けてくれましたね。覚えていますか」
それは、幼い頃に本当にあった出来事だった。誰にも話したことのない、記憶の隅に沈んでいた出来事だ。けれど、そんなことを知っている人間に、僕は心当たりがなかった。あの日一緒にいたのは、もうずっと前に引っ越していった友人だけだったはずだ。
背筋が冷えるのを感じながらも、僕はページをめくる手を止められなかった。次のページ、また次のページ。書かれているのは、いつも僕にまつわる小さな記憶だった。忘れていたはずのものばかりだった。中学の入学式で靴紐が解けたこと。祖母の家の縁側で聞いた蝉の声。誰にも語ったことのない、心の奥にしまい込んでいたはずの記憶までもが、丁寧な文字で綴られていた。
その日を境に、僕は自分から棚に向かうようになった。仕事が終わると、誰もいなくなった店内で一人、ノートのページを繰った。読むほどに、不思議な安心感すら覚えるようになっていた。まるで、自分のことを誰よりもよく知っている誰かがいるような、そんな錯覚だった。
一度、思い切ってノートを遠くまで持ち出したことがある。店から自転車で一時間ほど離れた河原まで運び、誰にも見つからない茂みの奥に埋めた。土を被せ、上から石を置いて、その日はようやく眠れる気がした。けれど翌朝、店の扉を開けると、返品コーナーの決まった場所に、土もついていない、乾いたままのノートが置かれていた。埋めたはずの穴は、河原に行って確かめる気にもなれなかった。
田辺さんにそのことを話すと、初めて少しだけ表情を曇らせた。「そういえば、前に働いていた子も、似たようなことを言ってたな」―それだけ言って、彼女は話を切り上げてしまった。前に働いていた子が誰なのか、今どうしているのか、僕は結局聞けなかった。それ以来、田辺さんは僕とノートの話をするのを避けるようになった気がした。
それでも僕は、ノートを完全に手放す気にはなれなかった。怖いはずなのに、開かずにいると落ち着かない。まるで長年連れ添った習慣のように、ノートは僕の日常の一部になりつつあった。そのことに気づいたとき、僕はようやく、自分がどこかおかしくなっていることを自覚した。
店主は、ノートのことをそれ以上尋ねなかった。ただ一度だけ、レジを閉めながら、ぽつりとこう言った。「読むだけにしておきなさい。書き込んではいけないよ」
意味がわからなかった。書き込む、とはどういうことだろう。ノートには、僕が書き込むための余白などなかったはずだ。聞き返そうとしたが、店主はもう奥の部屋に引っ込んでいて、答えは返ってこなかった。
その夜、店を閉めたあとで、僕は一人でノートを開いた。ページをめくる指が、いつもより冷たく感じた。最後のページには、こう書かれていた。「そろそろ、返事をくれてもいい頃です」
隣のページは、白紙だった。蛍光灯の明かりの下で、その白さだけが妙にはっきりと目に映った。
僕はしばらくその余白を見つめていた。何かを問われている気がした。答えなければ、何かが終わらない。そんな根拠のない焦りが、胸の奥からじわじわと広がってくる。それでいて、頭のどこか冷めた部分では、こんなものはただの紙とインクだ、と自分に言い聞かせようとしていた。両方の気持ちが同時にあって、僕はどちらにも従いきれずにいた。
何も書くつもりはなかった。ペンも持っていなかった。それでも、なぜだか手が動きそうになるのを感じて、慌ててノートを閉じ、鞄にしまって店を出た。
帰り道、街灯の下で何度も足を止めた。鞄の中でノートが、いつもより重くなっているような、そんな気さえした。振り返っても、誰もいない。ただ自分の足音だけが、いつもより長く尾を引いて聞こえた。
家に帰る道すがら、ふと自分の右手を見た。人差し指の側面に、うっすらとインクの跡がついていた。使った覚えのないインクだった。洗っても、なかなか落ちなかった。
次の日、店に着くと、ノートは棚から消えていた。返品コーナーを何度探しても見当たらない。店主に聞いても、首を振るだけだった。ほっとした気持ちと、どこか物足りない気持ちが、同時に僕の中にあった。あれほど怖かったはずなのに、失ってみると、胸の奥に小さな穴が空いたような感覚があった。
その代わりのように、棚の隅に見覚えのない一冊が増えていた。真新しい、まだ誰も開いていないノートだった。革の匂いすら、まだ新しかった。
表紙には、何も書かれていない。けれど開いてみると、一ページ目にはすでに今日の日付が記されていて、その下に一行だけ、こう書かれていた。
「拝啓、悠人様」
続きは、まだ白紙のままだった。僕は棚の前に立ち尽くし、その白いページを、いつまでも見つめていた。
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