📖 この台本について
⏱ 読了時間:約15分(約4,600字)
👤 登場人物:語り手1名(性別不問・1人用)
🎭 ジャンル:ホラー・怪談
🎙 用途:朗読配信・練習・ボイスサンプル
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作品について
亡き祖母の村を初めて訪れた語り手は、山の中腹にある祠へお参りするよう勧められます。その石段には、ひとつの言い伝えがありました。「のぼるときは数えてもいい。けれど、くだるときは決して数えてはいけない」――苔むした石段と、ひそやかな杉林の薄暗がりを舞台にした、静かな因習怪談です。
派手な驚かしや残酷な描写に頼らず、数が一段だけ合わないという、たったひとつの違和感だけで足元を崩していく構成が特徴です。恐怖の正体ははっきりとは描かれません。読み手と聞き手の想像のなかで、背後の気配だけが静かに増えていきます。
朗読では、終始抑えた低い声で淡々と語るのが効果的です。語り手自身が「ただの言い伝えだ」と高をくくっている前半の油断と、数が合わなくなる後半の張りつめた静けさ。その温度差を、声を張らずに表現できると、ラストの余韻がいっそう深く残ります。
① 語りのトーン 全体を通して、声を張らず、低く落ち着いたトーンで淡々と語ってください。怪談は「怖がらせよう」とするほど効果が薄れます。語り手は当初、言い伝えを信じていません。「ただの古い言い伝えにしか聞こえなかった」のくだりは、あえて少し軽く、油断した調子で読むと、後半との落差が生きます。 ② 緩急のつけ方 老婆の警告「くだるときは、けっして数えたらいかんよ」は、ひと言ずつ区切るように、ゆっくりと囁くように。逆に石段を駆け下りる場面は、息を詰めて畳みかけ、テンポを上げます。静と動のメリハリが鍵です。 ③ 感情表現のコツ 最大の山場は「百二十三段目が、あったのだ」。ここは声を張らず、むしろ一段声を落として、ぞっとするほど静かに置いてください。叫ぶより、息を呑むほうが怖くなります。 ④ ラストの処理 結末の「あれは、敷居だけは、またげん」は、すがるような独白として、消え入るように。最後はわずかに間を取り、無音で締めると、聞き手の背筋に余韻が残ります。▶ 朗読のポイントを見る(朗読される方向け・クリックで展開)
台本本文
祖母が亡くなって、私は初めて、あの村を訪ねた。母が生まれ育った土地だが、私自身は、子どもの頃に二、三度足を運んだきりだった。
山の裾に、十数軒の家が身を寄せ合うだけの集落だ。地図を広げても、名前すら載っていないほど小さい。麓の町からのバスは、一日に三本きり。最終の便を逃せば、もう山を下りる術はなく、見知らぬ家の軒先で夜を明かすほかない。そういう場所だった。
葬儀には、間に合わなかった。仕事を抜けられず、四十九日の法要に、ようやく顔を出せた。それが正直なところだ。線香の匂いの染みついた座敷で、集まった親戚たちは、私を遠巻きに眺めていた。都会へ出たきり、祖母の死に目にも会えなかった孫が、いまさら何をしに来た――そう言いたげな、冷たい目だった。
居心地の悪い時間をやり過ごし、法要がようやく終わった。皆が帰り支度を始めた頃、縁側にひとり腰かけていた私のそばへ、年老いた女が寄ってきた。隣の家に住む、祖母と長年仲の良かったおばあさんだという。
「あんた、せっかく来たんやから、お山にお参りしておゆきなさい」
老婆は、家の裏手にそびえる山を、節くれだった指で示した。中腹に、村を守る小さな祠があるのだという。祖母も、月に一度は必ず、そこへ手を合わせに登っていたらしい。
「ばあさんに、ちゃんと帰ってきたよって、報告しておあげ。あの人は、あんたのことを、ずうっと待っとったからね」
そう言われては、断る理由もなかった。私は上着を羽織り、教えられた山道へと向かった。
家の裏手へ回ると、思いのほか立派な石段が、斜面を縫うように上へと続いていた。古い石を一段ずつ積み重ねた、苔むした階段だ。両脇には背の高い杉が隙間なく並び、まだ午後だというのに、足元には夕暮れのような薄暗がりが、わだかまっていた。
登りかけた私の背に、老婆の声が追ってきた。
「のぼるときは、数えてもええ。けどな――くだるときは、けっして数えたらいかんよ」
私は振り返った。「数える、というのは……段を、ですか」
「そうや。のぼりの段と、くだりの段は、おなじ数とは限らんのや。もしもくだりで数えて、のぼりより一つでも多かったら――うしろを、見たらいかん。そのまま、何も見ずに、家までお帰り。ええな」
冗談めかした口ぶりではなかった。それでも私には、ただの古い言い伝えにしか聞こえなかった。年寄りが子どもを戒めるための、どこにでもある類の作り話だ。登りと下りで階段の数が変わるなど、あっていいはずがない。私は曖昧に頷いて、石段を登り始めた。
退屈しのぎに、私は段を数えていた。一、二、三、四……。苔を踏まぬよう足を選びながら、ゆっくりと登る。杉の梢が風に鳴り、どこか遠くで、名も知らぬ鳥が啼いた。それきり、聞こえるのは自分の足音と、荒くなっていく息づかいだけだった。
五十を数える頃には、額に汗がにじんだ。百を越えると、ふくらはぎが固く張ってきた。それでも石段は、まだ上へ上へと続いている。百二十、百二十一、百二十二――。そこで、ようやく段が途切れた。
開けた平地に、思っていたよりもずっと小さな祠が、ぽつんと立っていた。屋根の木は黒く朽ち、扉は固く閉ざされている。それなのに、その前にだけは真新しい花が供えられ、澄んだ水を張った杯が置かれていた。誰かが、つい最近ここへ来た証だった。
私は祠の前にしゃがみ、手を合わせた。「ばあちゃん。遅くなって、ごめん。でも……ちゃんと、帰ってきたよ」
声に出すと、思いがけず胸が詰まった。幼い頃、この人の膝の上で聞いた昔話を、私はもうほとんど覚えていない。それなのに、線香の匂いと、しわだらけの手のあたたかさだけが、急に生々しくよみがえってきた。私はしばらく、そうして手を合わせていた。
やがて立ち上がり、来た道を振り返った。石段が、麓へ向かってまっすぐに伸びている。たった今、登ってきたばかりの、同じ階段だ。――くだるときは、数えたらいかん。老婆の言葉が、ふと耳の奥でよみがえった。
馬鹿馬鹿しい、と思った。登りが百二十二段だったのなら、下りも百二十二段に決まっている。数が変わるはずがない。それを確かめてやろうという、つまらない意地が、私の胸の内に頭をもたげた。
私は、一段目に足を下ろした。一。二。三。四。声には出さず、頭の中だけで数えた。下りは登りより楽なはずなのに、なぜか足がひどく重い。あたりの薄暗さは、登ってきたときよりも、いっそう濃さを増しているように感じられた。
五十。六十。いつのまにか、杉の鳴る音が、やんでいた。風がない。鳥も啼かない。聞こえるのは、石を踏む自分の足音だけ――のはずだった。
けれど、その足音が、どうもおかしい。私が一段下りるたびに、ほんのわずかに遅れて、もう一つ、別の足音が重なる気がするのだ。気のせいだ、と自分に言い聞かせた。山の中だ、音が反響しているだけだろう。私はかまわず、数え続けた。
百。百十。百二十。百二十一。そして、もう一段。百二十二。
最後の段に、足が着いた。私はほっと息をついた。ほら、やはり同じだ。百二十二段。何も変わりはしない。年寄りの言い伝えなど、やはり――。
そこまで考えて、私は凍りついた。足の下に、まだ、石があった。百二十三段目が、あったのだ。数え終えたはずなのに、地面は、まだその先にあった。私はもう一段、踏み下りていた。
老婆の声が、頭の中で鮮明によみがえった。――のぼりより一つでも多かったら、うしろを、見たらいかん。
その瞬間、背後で、かさり、と音がした。ちょうど、一段上で。まるで誰かが、ついさっきまで私のいた段に、静かに立っているかのように。
うなじの産毛が、いっせいに逆立った。振り返ってはいけない。頭ではわかっていた。それでも人というのは、見るなと言われたものほど、振り返りたくなる。喉まで、その衝動がせり上がってきた。
私は、振り返らなかった。代わりに、駆け下りた。残りの段を数えることも忘れて、ただ転がるように下った。背中のすぐ後ろを、まったく同じ速さで、何かが下りてくる気配があった。けっして離れず、けっして追い越さず、私と寸分たがわぬ歩幅で。
石段を下り切り、村の道へ飛び出しても、私は決して振り返らなかった。祖母の家の灯りが見えるまで、ただひたすらに走り続けた。
座敷に転がり込むと、親戚たちはもう皆、帰った後だった。あの老婆だけが、ぽつんと座っていた。私の青ざめた顔を見るなり、彼女は静かに言った。「……数えたね」
私は、何も答えられなかった。「もう、ええ。家に入ったんなら、もう大丈夫や。あれは、敷居だけは、またげんからね」老婆はそう言って、湯呑みの茶を静かにすすった。それ以上は、何も訊こうとしなかった。
私は翌朝、一番のバスでその村を出た。あれ以来、あの土地には、一度も戻っていない。――そのはずだった。
東京の、自分のアパートに帰り着いて、何日かが過ぎた夜のことだ。仕事から戻り、いつものように外付けの鉄の階段で、三階の部屋へ上がった。
何の気なしに、私は数えていた。一、二、三……十六。十六段。それで、三階の踊り場に着く。引っ越してきてから二年、ずっとそうだった。
その夜にかぎって、部屋の鍵を差し込もうとして、ふと、嫌な予感が走った。私は、登ってきた階段を振り返り――は、しなかった。代わりに、もう一度、頭の中で数え直した。自分が今、何段上がってきたのかを。
一、二、三……十六。十七。十七段、上がっていた。私の部屋は、三階だ。十六段で、着くはずの。それなのに私は、一段、多く上がっていた。
――うしろを、見たらいかん。
私は今も、あの言葉を守り続けている。アパートの階段を、もう数えない。エレベーターのない建物だから、毎日、必ずあの鉄の段を上り下りする。それでも、決して数えない。数えてしまえば、また、合わなくなる気がするから。
ときおり、夜更けに、ふと目が覚める。玄関の外で、かさり、と、軽い音がする。ちょうど、一段下に、誰かが、静かに立っているような。
私は、見ない。布団を頭からかぶって、ただ朝が来るのを待つ。――あれは、敷居だけは、またげん。あの老婆の、その言葉だけを、いまも頼りにして。
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