📖 この台本について
⏱ 読了時間:約10分(3000字)
👤 登場人物:女性1名(1人用)
🎭 ジャンル:感動
🎙 用途:朗読配信・練習・ボイスサンプル
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作品について
出張帰りに偶然降り立った駅で、かつて母と暮らした街を歩く主人公。色褪せた商店街を抜けた先の小さな公園で、母と思いがけず再会します。二十年以上離れていた親子が、ベンチに並んで座り、ただ手をつなぐ——それだけの出来事が、胸の奥に深く沁みわたる感動の朗読台本です。
本作の特徴は、「手」というモチーフが物語の始まりと終わりを結んでいる点です。幼い頃に母に手を握られて歩いた記憶、思春期に母の荒れた手を恥じた後悔、そして大人になった今、自分から母の手を握り返す瞬間。「絶対に手を離さないでね」という母のセリフが、ラストでは娘の口から語られるという構成が、この作品の核心です。
朗読の際は、回想パートは静かな語りで、再会後の会話は自然な温かさで読んでください。大きく泣く場面はありませんが、母の手に触れた瞬間の「鼻の奥がつんとした」感覚を、声の微かな揺れで表現すると聞き手の心に届きます。
▶ 朗読のポイントを見る(朗読される方向け・クリックで展開)
① 語りのトーン
冒頭の「その手のぬくもりを、私はずっと忘れていたと思っていた」は、自分自身に語りかけるような静かな内省のトーンで入ってください。商店街を歩く場面では懐かしさが滲む声に、母と離れていた時期を振り返る場面ではやや硬く自責的な声に変えると、感情の幅が出ます。
② 緩急のつけ方
商店街の描写はゆったりと歩くリズムで進め、公園のベンチで母を見つける「……お母さん」の場面では、一瞬の沈黙のあとに声をそっと漏らすように読んでください。その後の母との会話はテンポよく自然に、二人の間にある空白の時間を埋めるかのように。
③ 感情表現のコツ
「ごめんね、お母さん」は、何に謝っているのか自分でも全部は分からないという描写のまま、声を震わせながらも言葉を選ぶように読んでください。母が手を「きゅっと握り返してくれた」場面は、声ではなく間(2秒ほどの沈黙)で表現すると、握り返す温もりが聞き手の手のひらにも伝わります。
④ ラストの処理
「いつか離してしまった手を、もう一度つなぎ直すのに、遅すぎるということはないのだと」は、穏やかで確信に満ちた声で、一語一語丁寧に読み上げてください。「私はそのとき初めて知った」で静かに締めくくり、3〜4秒の沈黙を置きます。温かさの余韻を残すことを意識してください。
── 台本本文 ──
その手のぬくもりを、私はずっと忘れていたと思っていた。
思い出したのは、三月の終わり。冬の名残を引きずるような冷たい風が吹く、曇り空の午後だった。
私は出張の帰り道、乗り換えのために降りた駅で、ふと足を止めた。改札を出たすぐ先に、小さな商店街が続いている。色褪せたアーケードの屋根。錆びかけた看板。八百屋の店先に並ぶ、不揃いなみかん。
ああ、ここだ。
かつて母と暮らした町だった。
二十年以上も前のことだ。まだ小学校に上がる前、母と二人、この商店街をよく歩いた。父は私が生まれてすぐに亡くなったと聞いている。母は昼間はクリーニング店で働き、夜は内職をしていた。忙しい人だった。それでも買い物に出るときは、必ず私の手を握ってくれた。
「絶対に手を離さないでね」
母はいつもそう言った。真剣な顔で、けれどどこか優しい目をして。私はその手の大きさと温かさが好きだった。自分の小さな手が、すっぽり包み込まれるあの感覚。それだけで、世界中のどんな怖いことからも守られている気がした。
けれど、子どもはいつか手を離す。
中学に上がった頃から、私は母と並んで歩くことを避けるようになった。思春期特有の気恥ずかしさもあった。でも、それだけではなかった。母の手は荒れていた。指先はひび割れ、爪は短く切りそろえられ、関節は赤く腫れていた。その手が、私には貧しさの象徴のように思えたのだ。
友達の母親たちは、きれいにネイルを塗った手をしていた。参観日に来る母の、洗剤で荒れた手が恥ずかしかった。なんて残酷な子どもだったのだろう。
高校を卒業して、東京の大学に進学した。母は何も言わずに送り出してくれた。駅のホームで、母が何か言いかけて、やめたのを覚えている。その時も私は、母の方を振り返らなかった。
大学を出て就職し、都会での暮らしに馴染んでいくうちに、母との連絡は年に数回の電話だけになった。電話口の母はいつも明るかった。「元気でやってるよ」「こっちのことは気にしなくていいから」。そう繰り返す声は、少しずつ老いていくのが分かった。それでも私は、帰らなかった。忙しいという言い訳を並べて。
本当は、分かっていた。帰れば、あの商店街を歩くことになる。母の手を見ることになる。あの頃の自分の冷たさと向き合うことになる。それが怖かったのだ。
商店街を歩き始めた。八百屋はまだあった。隣の花屋はシャッターが下りている。豆腐屋だった場所はコインランドリーに変わっていた。それでも、道の形は変わらない。母と歩いた、あの道のままだった。
角を曲がると、小さな公園がある。ブランコと砂場だけの、何の変哲もない公園。ベンチに誰かが座っていた。
小柄な老女が、膝の上に買い物袋を置いて、ぼんやりと空を見上げている。
足が止まった。
「……お母さん」
声が出たのは、考えるよりも先だった。老女がゆっくりとこちらを向いた。一瞬の沈黙。それから、その目がゆっくりと大きく見開かれた。
「……あら」
母はそれだけ言って、微笑んだ。まるで昨日別れたばかりの人に会ったように、穏やかに。
「近くまで来たから」と、私は言い訳のように言った。母は「そう」と頷いて、ベンチの隣を軽くたたいた。座りなさい、という意味だ。昔からそうだった。
隣に座ると、母の匂いがした。洗濯洗剤の清潔な匂い。二十年以上経っても、変わらない匂い。
「元気だった?」と母が聞く。「まあ、なんとか」と私が答える。それだけの会話が、ひどく温かかった。
母の手が目に入った。あの頃よりもずっと細くなって、皺が深く刻まれている。指先のひび割れはそのままだった。けれど、もうそれを恥ずかしいとは思わなかった。その手が何を守ってきたのか、今の私には分かるから。
「お母さん、手、まだ荒れてるね」
「ああ、これねえ。もう治らないの。年だからね」
母は可笑しそうに笑った。私は黙って、その手に自分の手を重ねた。母の指がぴくりと動いた。驚いたのだと思う。当然だ。もう何年も、この手に触れていなかったのだから。
「……冷たい手」
母がぽつりと言った。
「昔は関係ないくらい温かかったのにね」
その言葉を聞いて、鼻の奥がつんとした。昔、母の手を握って歩いた時の記憶が、堰を切ったようにあふれてきた。夕暮れの商店街。母に手を引かれて渡った横断歩道。転んで泣いた時に頬に触れてくれた指の感触。全部覚えている。忘れたふりをしていただけだった。
「ごめんね、お母さん」
声が震えた。何に謝っているのか、自分でも全部は分からなかった。手を離したこと。帰らなかったこと。あの手を恥じたこと。全部だ。全部に対して、ごめんなさいと言いたかった。
母は何も言わなかった。ただ、私の手を、きゅっと握り返してくれた。あの頃と同じ力で。いや、少しだけ弱くなったかもしれない。でも確かに、あの時と同じぬくもりが、そこにはあった。
「絶対に手を離さないでね」
私がそう言うと、母は一瞬きょとんとした顔をして、それから目を細めて笑った。
「……それ、お母さんのセリフ」
曇り空の隙間から、細い光が差し込んできた。三月の風はまだ冷たい。それでも、つないだ手のあいだだけは、確かに温かかった。
いつか離してしまった手を、もう一度つなぎ直すのに、遅すぎるということはないのだと、私はそのとき初めて知った。
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